TRADITION

焼き物を生んだ美意識をもつ、
古田重然(織部)
「戦国武将名鑑」

2021.5.26
焼き物を生んだ美意識をもつ、<br>古田重然(織部)<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、焼き物を生んだ美意識をもつ人物、古田重然(ふるたしげなり)です。

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生没年
1544~1615年
Place
美濃国(岐阜県南部)
Data
由来|古田氏
改名|景安(初名)→重然
正室|せん(中川重清の娘)

丸に三ツ引

信長や秀吉に仕えた武将としての側面よりも、文化人としての側面のほうが有名かもしれない。千利休の下で茶道を学び、「利休七哲」の一人に数えられるほど、茶人としてその名を知られた。茶道への情熱は並々ならぬものがあったようで、大坂の陣に参戦した際も、戦そっちのけで茶杓の材料を求めて竹藪の中に入ってしまうほどであった。桃山時代の文化を語る上で欠かせない“織部好み”は、千利休が生み出した茶道のスタイルをより自由に変革したもので、茶室のデザインはもちろん、“織部流”という流派も生まれて現在も継承されている。美濃地方では織部の指導で、奇抜なかたちを特徴とする織部焼が生まれた。弟子も多く、第2代将軍徳川秀忠をはじめ茶人造園家の小堀遠州や、絵師、陶芸家の本阿弥光悦などがいる。

茶人・織部の破調の美

織部の美意識は斬新で奇抜であり、整った美しさよりも“破調の美”を好んだ。焼き物をあえて破壊してつなぎ合わせ、いびつなかたちにして完成作とするなど、織部の感性はアバンギャルドなものであった。

年表

1544 美濃国に生まれる(異説あり)
1567 織田信長の美濃進駐とともに家臣として仕え、重然は使番を務める
1569 摂津国茨木城主・中川清秀の妹・せんと結婚
1576 山城国乙訓郡上久世荘の代官となった
1577 織田信忠の播磨神谷城攻めに使番として手柄を立てる。同年、荒木村重が謀反を起こした際には、中川清秀を織田方に引き戻すのに成功
1582 この頃、千利休と知り合い弟子入りしたと思われる
1583 伊勢亀山城の滝川一益を攻め、同年の賤ヶ嶽の戦いでも軍功を上げる
1585年 紀州征伐、四国平定に秀政とともに出陣。同年、従五位下・織部正に任ぜられ、山城国西岡に所領3万5000石を与えられるという
1600 関ヶ原の戦いで東軍に参加する
1615 大坂落城後、自害

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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