竹中重治と並ぶ名参謀、
黒田官兵衛
「戦国武将名鑑」
15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、竹中重治と並ぶ名参謀、黒田官兵衛(くろだかんべえ)です。
生没年
1546~1604年
Place
播磨国(兵庫県中央部)
Data
由来|黒田氏
改名|万吉(幼名)→小寺孝高→黒田孝高→如水軒(号)→如水円清(法名)
正室|幸円(櫛橋伊定の娘)
2014年の大河ドラマの主人公に選ばれた黒田官兵衛は、秀吉が才能を最も評価し、また恐れた家臣の一人である。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀の筆頭として知られる。稀代の名軍師として名高く、生涯50もの合戦においては負け知らずであった。秀吉に明智光秀を討つことを進言したともいわれ、天下取りは官兵衛の力なくしては実現しなかっただろう。秀吉をして「官兵衛がその気になれば、自分が生きている間に天下を取るだろう」と言わしめたほどで、圧倒的な功績があるにもかかわらず、領地をわずか12万石しか与えられなかったことからも、秀吉がいかに官兵衛の動きを警戒していたのかがわかる。秀吉の死後は関ヶ原の戦いに乗じて天下取りに本格的に乗り出すが、失敗に終わった。
「天下に最も多きは人なり。
少なきも人なり。」
秀吉との対話の中での発言。世の中にはたくさんの人がいるけれども、心から信頼できる人や優れた能力をもった人はごくごくわずかである、という意味。
年表
1546年 播磨国に生まれる
1567年 父・職隆から家督と家老職を継ぎ、小寺政職の姪にあたる櫛橋伊定の娘・幸円を正室に迎え、姫路城代となる
1577年 羽柴秀吉(豊臣秀吉)が播磨国に進駐。孝高(官兵衛)は一族を国府山城に移らせ、姫路城を秀吉に提供。その後、参謀として活躍する
1578年 荒木村重が信長に対して謀反を起こし、有岡城に籠城。孝高は村重を翻意させるため有岡城に乗り込むも、逆に捕縛される
1586〜1597年 従五位下・勘解由次官に叙任。九州征伐に従軍し、宇留津城、香春岳城などを陥落
1590年 小田原征伐で北条氏政・氏直父子を説得し、無血開城させる功績を立てる
1597年 慶長の役で総大将・小早川秀秋の軍監として釜山に滞陣
1600年 関ヶ原の戦いが起こる
1604年 山城伏見(一説に筑前博多)で病死
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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」