TRADITION

出世のために主君を変える強欲男、
藤堂高虎
「戦国武将名鑑」

2021.5.28
出世のために主君を変える強欲男、<br>藤堂高虎<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、出世するために主君を変える強欲男、藤堂高虎(とうどう たかとら)です。

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生没年
1556~1630年
Place
伊勢国(三重県中央部)
Data
由来|藤堂氏
改名|与吉(幼名)→高虎
正室|久芳院(一色義直の娘)
側室|松寿院(長連久の娘)

浪人から出世して伊勢津藩主に登り詰めた高虎は、権力を手にするために主君を何度も変えたことで有名だ。「武士たるもの、七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と発言したように、戦国時代では珍しいほど世渡り上手な一面があった。しかし、秀吉に重用された立場でありながら、秀吉の死後は家康に接近し、家臣として用いるように発言したときは周囲からひんしゅくを買ったといわれる。高い出世欲と露骨なまでの変わり身の早さゆえに、高虎の行動に好意をもつ人は少ないが、それぞれの主君の下で全力で奉仕するきまじめな人物であったとされる。また、宇和島城や膳所城など数々の城を構築しており、城造りの名人として加藤清正と並び称される存在でもあり、文学や能楽などの芸術分野にも造詣が深かった。

なぜ旗指物に丸餅があるのか

高虎の旗指物には丸が3つ縦に並んでいる。これは高虎が三河国で、餅屋の店頭に並んでいた餅を全部たいらげてしまい、しかも持ち合わせがないにもかかわらず、主人はきれいに食べてくれたことに感謝したという。この恩に報いるため、旗指物に丸餅をあしらったそうだ。

年表

1556 近江国で生まれる
1570 浅井長政の家臣として仕え、姉川の戦いに参戦して武功を上げる
1573 浅井氏が織田信長に滅ぼされると、浅井氏旧臣の磯野員昌の家臣となる
1576 羽柴秀長(豊臣秀吉の弟)に仕える
1585 猿岡山城、和歌山城の築城にあたる
1587 九州征伐では島津軍に攻められた味方を救援
1592 文禄の役で朝鮮へ渡海
1597 慶長の役で水軍を率いて参加
1600 関ヶ原の戦いで会津征伐に従軍。その後、織田秀信が守る岐阜城攻めや関ヶ原での決戦に参戦
1615 大坂夏の陣に参加
1630 病死

ゆかりのスポット

高虎が築城したのが今治城(愛媛県今治市)。堀を三重にし、海につながる船入(港)を城内に設けた。

今治城
住所|愛媛県今治市通町3-1-3
TEL|0898-31-9233
FAX|0898-31-9235
http://museum.city.imabari.ehime.jp/imabarijo/

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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