TRADITION

信長に反感を買うも確かな政治手腕、
長宗我部元親
「戦国武将名鑑」

2021.5.20
信長に反感を買うも確かな政治手腕、<br>長宗我部元親<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、信長に反感を買うも政治的手腕は確実なものだった武将、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)です。

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生没年
1539~1599年

Place
土佐国(高知県)
Data
由来|秦姓長宗我部氏(泰氏姓)
改名|弥三郎(幼名)→元親→雪蹊恕三(法名)
正室|石谷光政の娘(斎藤利三の異父妹)
側室|小少将(岡本清宗の娘)

丸に七ツ片喰

土佐国に生まれた戦国大名。幼少の頃は色白で穏やかな性格だったため、“姫若子”と仇名をつけられたという。早くから四国統一を目指し、阿波国、讃岐国、伊予国へと侵攻したが、元親の目立った行動は信長の反感を買うこととなり、土佐国と阿波国の一部以外は手放すように命じられた。しかし、元親は要求を拒否したため信長によって派遣された三好康長らによって攻撃される。交戦の真っただ中に信長が死去し、再び勢力を拡大。1585年には四国をほぼ手中に収めたが、秀吉に敗北して土佐一国のみの領有を許された。信長から「鳥無き島の蝙蝠」と呼ばれ、評価されなかった元親だが、政治的な手腕は確かなものだった。土佐では道路の整備や税制の確立に努め、領地の安定に心血を注いでいる。

「一芸に熟達せよ
多芸を欲ばる者は巧みならず」

何でもかんでも欲張って習得しようとするよりは、ひとつのことに秀でたほうが立派であるという教え。オンリーワンを目指すことの大切さを説いている。

年表

1539 土佐国に生まれる
1560 長浜の戦いにおいて実弟の吉良親貞とともに初陣。家督を相続する
1569 八流の戦いで安芸国虎を滅ぼして土佐東部を平定
1574 一条家の内紛に介入して一条兼定を追放して兼定の子・内政に娘を嫁がせて「大津御所」という傀儡(かいらい)を立てた。土佐国をほぼ平定
1575 四万十川の戦いで兼定を撃破し、土佐国を完全に統一
1582 阿波・讃岐国を平定
1583 四国を統一
1585 豊臣秀吉に降伏し、土佐一国を安堵される
15861597 秀吉の九州攻めに従軍
1590 小田原攻めに参陣
1599 山城伏見の屋敷で病死

ゆかりのスポット

高知市にある元親の像。22歳で初陣を迎えた元親が、合戦に挑む前夜、若宮八幡宮に陣取った姿を表現。

長宗我部元親の像
住所|高知県高知市長浜6600
TEL|088-841-2464(若宮八幡宮)

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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