TRADITION

頭脳で戦をする名代きっての参謀、
毛利元就
「戦国武将名鑑」

2021.4.30
頭脳で戦をする名代きっての参謀、<br>毛利元就<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、頭脳で戦をする名代きっての参謀、毛利元就(もうりもとなり)です。

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生没年
1497~1571年

Place
安芸国(広島県西部)
Data
由来|毛利氏
改名|松寿丸(幼名)→元就
正室|妙玖(吉川国の娘)
側室|乃美大方、三吉氏(三吉広隆の娘)

長門三ツ星

元就は中国地方の覇権を握った戦国大名である。日々の生活に困窮するほどだったという幼少期を経て、大内義興の傘下となって勢力を拡大していく。ところが、大内氏の実権を握っていた陶晴賢(すえはるかた)〈隆房〉(たかふさ)との関係が次第に悪化。1555年、晴賢との間に起こった厳島の戦いに勝利して勢力を拡大し、中国地方を平定する足がかりをつくった。謀略家として知られ、暗殺や買収など勝利のためにあらゆる頭脳戦を繰り広げたことから“戦国時代の知将”として名高い。その一方で人望に優れた面も持ち合わせており、吉田郡山城の戦いでは民衆8000人がともに籠城したほどで、領民からは絶大な信頼を得ていたといわれている。三人の息子に結束を呼びかけた“三本の矢”の物語は、元就の人物像をよく表すエピソードとしてあまりに有名だ。

一つに束ぬれば、折り難し

前に「矢一本なれば、折りやすし。」と入る。一本ならば一人でたやすく折ることができる矢も、三本まとまると折ることは難しい。三本の矢のように三人が力を合わせなければいけないという教え。

年表

1497 安芸国に生まれる
1500 鈴尾城から多治比猿掛城に移り住むも、両親が相次いで死去。城から追い出されてしまう
1523 家督を相続し、毛利元就を名乗る
1540 尼子詮久率いる3万の尼子軍に本拠地・吉田郡山城を攻められるが(吉田郡山城の戦い)、3000の兵で撃退する
15421543 大内義隆を総大将とした第一次月山富田城の戦いに従軍するが大敗
1546 隠居を表明し、隆元が毛利家当主となる
1555 日本三大奇襲といわれる厳島の戦いで陶晴賢(隆房)を撃破する
1557 大内氏に内紛が起こり、これを好機とみた元就は大内氏を滅ぼす
1564 出雲侵攻を開始(第二次月山富田城の戦い)
1566 尼子義久は月山富田城に籠城するも継続できなくなり降伏。尼子氏を滅ぼす
1571 郡山城で病死

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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