TRADITION

五大老からの転落人生、
宇喜多秀家
「戦国武将名鑑」

2021.6.6
五大老からの転落人生、<br>宇喜多秀家<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、五大老からの転落人生、最後は流人となる武士、宇喜多秀家(うきた ひでいえ)です。

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生没年
1572~1655年

Place
備前国(岡山県南東部)
Data
由来|宇喜多氏
改名|八郎(幼名)→家氏→秀家→久福(号)
正室|豪姫

島形に兜文字

岡山城主・宇喜多直家の次男として生まれる。幼い頃から美男子であったとされ、出世コースを突き進むように、信長、秀吉に仕えて重用された。1597年の朝鮮出兵(慶長の役)の際には南原城を攻め落とすなど目覚ましい活躍をし、帰国後は五大老の一人となる。関ヶ原の戦いでは西軍の副大将として福島正則らと死闘を繰り広げるが、小早川秀秋の裏切りによって瞬く間に敗北を喫し、家康によって改易の憂き目に遭う。秀家は逃亡を図り、島津家を頼って薩摩藩へ逃げ延びたものの捕えられてしまい、1606年に八丈島に流罪された。以後は二度と島を出ることはなかった。晩年は恵まれなかったものの、関ヶ原の戦いを経験した武将の中では最も長生きし、84歳で没した。

八丈島に流されてからの
不自由な生活

八丈島では苦しい生活を強いられたようで、福島正則の家臣が島を訪れていた際に酒をおごってもらったことや、代官から握り飯を分け与えてもらったというエピソードがある。

年表

1572 備前国岡山城で生まれる
1582 織田信長の計らいにより、本領を安堵され家督を継ぐ
1586 豊臣秀吉の養女・豪姫を正室に迎える
1592 文禄の役の大将として出陣。李氏朝鮮の都・漢城に入って京畿道の平定にあたる
1598 日本へ帰国。秀吉によって五大老の一人に任じられる
1600 関ヶ原の戦いで副大将として尽力するも宇喜多隊は壊滅。落ち延びる
1606 史上初の流人として八丈島へ配流となる
1655 八丈島にて死去

ゆかりのスポット

宇喜多氏が本拠としたことで近世城郭の基礎ができた。復元された天守は博物館になっている。

岡山城
住所|岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
TEL|086-225-2096
URL|https://okayama-kanko.net/ujo/

※岡山城天守閣は2021年6月1日から2022年秋頃まで改修工事のため入館不可となります

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・宇喜多秀家

Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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