TRADITION

加賀百万石を築いた、
前田利家
「戦国武将名鑑」

2021.5.19
加賀百万石を築いた、<br>前田利家<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、加賀百万石を築いた実力派武将、前田利家(まえだとしいえ)です。

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生没年
1538?~1599年

Place
尾張国(愛知県西部)
Data
由来|前田氏(菅原姓)
改名|犬千代(幼名)→利家
正室|まつ(篠原一計娘)
側室|寿福院、隆興院、金晴院、明運院、逞正院

加賀梅鉢

尾張国に生まれ、若くして信長に仕えた利家は、加賀百万石の前田家を一代で築き上げた立役者である。信長から能登一国を与えられていた利家は、信長の死後は秀吉に仕えて従軍し、加賀と越中を与えられて3カ国にまたがる強大な勢力を築き上げた。後に豊臣五大老の一人となっている。細身でありながら身長は182㎝と、当時としては珍しい長身で、容貌も優れていたという。また、傾奇者の風潮を好み、女物の着物を身につけるなど常にド派手な格好をしていた。その一方で経済にも通じており、前田家の収支はすべて利家自身が管理したといわれるほど、経済センスに優れていたとされる。茶道など文化面にも造詣が深く、これは後の加賀藩主にも受け継がれ、金沢が今なお伝統文化が残る街となった礎を築いたといえる。

幼少の頃、織田信長の愛人だった!?

利家と信長は愛人関係をもっていたという説がある。もちろん後世の脚色が加わっているとは考えられるが、同性愛の関係とまではいかなくとも、二人が強い絆で結ばれていたことは間違いないだろう。

年表

1538 尾張国に生まれる(1537年説もあり)
1551 織田信長の小姓として仕える
1552 萱津の戦いで初陣。首級ひとつを挙げる功を立て、利家と名乗る
1556 稲生の戦いで右目を矢で射抜かれながらも功績を上げる。1559年、訳あって浪人となる
1560 信長に無断で桶狭間の戦いに参加。功を立てるも帰参は許されなかった
1561 森部の戦いも無断で参加。今回は戦功が認められ、信長に帰参
1575 柴田勝家の下臣となり北陸へ
1581 信長より能登国を与えられ、七尾城主となる
1583 賤ヶ嶽の戦いで柴田軍として布陣したが撤退。秀吉に臣従する
1598 豊臣五大老になる
1599 大坂で病死

ゆかりのスポット

金沢市にある平城。織田氏の家臣・佐久間盛政が城主だったが、秀吉が滅ぼし前田利家に与えた。

金沢城
住所|石川県金沢市丸の内1番1号
TEL|076-234-3800
URL|http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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