名刀で雷神を切り捨てた!?
立花道雪
「戦国武将名鑑」
15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、名刀で雷神を切り捨てた!?立花道雪(たちばなどうせつ)です。
生没年
1513~1585年
Place
豊後国(大分県)
Data
由来|大友氏族(藤原北家秀郷流)
改名|戸次親守→親廉→鑑連→麟伯軒道雪(号)
正室|入田氏
継室|門詰所鑑豊の娘
側室|宗像正氏の娘
豊後大友氏に家臣として仕え、毛利氏の九州侵攻を阻止するなどの功績を残す。豪放な性格だったとされ、昼寝をしていたときに雷鳴が轟くと、すかさず抜刀して雷の中に棲む雷神を切り捨てたとされる。また、酒に溺れ好色家だったとされる主君の大友宗麟(義鎮)とは衝突し、たびたび諫言するなど歯に衣を着せぬ性格でも知られていた。凶暴な猿を家臣にけしかけて遊んでいた宗麟をいさめ、猿を鉄扇で叩き殺したというエピソードもある。宗麟が画策していた日向侵攻には最後まで反対の姿勢を貫いていたが、戦いがはじまると懸命に戦った。しかし、高良山の陣中で病に倒れ、73歳で病死した。「弱い兵卒などいない。いるとすればそれは大将の責任である」という発言を残しているように、部下思いでも知られている。
主人の過ちを正すのが
臣たる者の務めである
道雪はイエスマンではなく、たとえ主君であっても誤った行動をとった際は厳しく忠告した。あとに「自分の命は露ほども惜しくはない。それより主人が、世間の外聞を失うことが無念である」と続く。
年表
1513年 豊後国に生まれる
1526年 元服し、戸次家の家督を相続。その後、大友義鑑に仕え初陣で敵将を捕縛
1550年 主君・義鑑が三男・塩市丸を後継者にしようとしたことから、嫡男の家臣が義鑑を襲撃(二階崩れの変)
1554年 肥後国に侵攻し、菊地義武を滅ぼす
1561年 豊前に出陣して毛利元就と交戦
1568年 立花氏、秋月氏、高橋氏を破る
1569年 毛利氏、龍造寺隆信の軍を降す。10年以上にわたった毛利氏との筑前争奪戦に終止符が打たれる
1571年 立花氏の名跡を継承し立花山城主となる
1575年 ただ一人の愛娘である誾千代(ぎんちよ)に家督を譲る
1585年 筑後国の陣中で病死
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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」