いまだ謎が多い伝説的軍師、
山本勘助
「戦国武将名鑑」
15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、いまだ謎が多い伝説的軍師、山本勘助(やまもとかんすけ)です。
生没年
1493?~1561年
Place
三河国宝飯郡牛窪(愛知県豊川市牛久保町)
Data
由来|山本氏、大林氏
改名|山本源助→大林源助→勘助→山本勘助→晴幸→道鬼(号)
武田信玄の軍師として知られ、武田五名臣の一人に数えられている山本勘助は、生没年などに謎が多く、今なお伝説上の人物とされている。勘助の記録については、武田家の軍事書として江戸時代に編纂された『甲陽軍鑑』に登場するものが最初とされる。名軍師として人気を集め、江戸年間を通してたびたび浮世絵の題材として描かれたほか、講談でもしばし取り上げられた。作家の井上靖も小説『風林火山』に勘助を登場させたため、現在に至るまで知名度が高い。しかし、その容貌は色黒で醜男で、手足が不自由だったとされている。45歳にして信玄の下で仕え、兵法や築城術などに優れた才能を発揮していたが、1561年、第四次川中島の戦いで戦死した。勘助の墓は長野市の千曲川河川敷にある。
川中島合戦のキツツキ戦法
勘助が上杉軍を奇襲する作戦として考えたのがキツツキ戦法だ。軍勢を二手に分け、片方の部隊が夜明けと同時に襲撃、驚いた上杉軍が山を駆け下りてくるところをもうひとつの部隊が襲撃するというもの。キツツキがくちばしで木をたたいて、驚いた虫が飛び出してきたところを捕食する様子になぞらえて命名。
年表
1493年 三河国か駿河国で生まれたとされている
1535年 今川義元に仕官を望むが、叶わず浪人の身のまま9年にわたり駿河に留まり鬱々とした日々を過ごす
1543年 武田家に仕官する
1544年 信濃国諏訪郡へ侵攻し平定する
1548年 上田原の戦いで村上義清と決戦
1550年 信濃国小県郡の村上義清の戸石城を攻めるが、守りが堅く武田軍は総崩れとなり撤退。しかし勘助の采配で村上勢を打ち破る
1551年 信玄が出家。これにならい勘助も出家する
1553年 信玄の命により上杉謙信に備えるべく海津城(松代城)を築く
1561年 第四次川中島の戦いで戦死
ゆかりのスポット
長野・松代に信玄が勘助に命じて築かせた城。現在、本丸跡と堀の遺構が復元されている。
松代城(海津城)
住所|長野県長野市松代町松代4-1真田宝物館内
TEL|026-278-2801
FAX|026-278-2847
URL|http://www.sanadahoumotsukan.com/
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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」