TRADITION

秀吉の右腕であり夜盗の親玉?
蜂須賀正勝
「戦国武将名鑑」

2021.5.18
秀吉の右腕であり夜盗の親玉?<br>蜂須賀正勝<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、秀吉の右腕であり、夜盗の親玉だった!?蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)です。

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生没年
1526~1586年
Place
尾張国(愛知県西部)
Data
由来|蜂須賀氏
改名|小六→彦右衛門→正勝
正室|大匠院(まつ、松)

丸に卍

蜂須賀小六の通称で知られ、秀吉の片腕として無名時代から寝起きを共にした。二人の劇的な出会いについては諸説あり、浪人時代の秀吉と正勝が矢作橋で出会ったとする説や、秀吉の父・弥右衛門が蜂須賀正利(正勝の父)の配下であった縁で知り合ったという説もある。ちなみに、当時の正勝は夜盗の親玉だったともいわれる。1566年頃、秀吉が墨俣に一夜城を築くことを提案したときは、築城の手助けをして工事を完遂させている。また、中国攻めや備中高松城の戦い、小牧・長久手の戦いなどの数々の実戦で戦功を上げており、秀吉が大出世したのは正勝の功績による部分が大きい。後に阿波一国を与えられたがこれを断り、大坂の城下で暮らし、没した。生涯にわたって秀吉に側近として仕える道を選んだのである。

秀吉との本当の出会い

愛知県岡崎市にある矢作橋は秀吉と正勝が出会ったゆかりの地といわれている。秀吉が矢作橋の袂で昼寝をしていたところ、子ども時代の正勝が踏んづけてしまったことが出会いの発端。これにちなんで二人の像が建立されていたが、架け替え工事のため移動した。

年表

1526 尾張国に生まれる
1566年頃 美濃国で秀吉による墨俣城の築城を果たす(墨俣城一夜城)
1573 浅井氏の滅亡後に秀吉が近江長浜城主になると、正勝には長浜領内に所領を与えられた
1581 数々の功績を上げ、播磨国の龍野城主になる
1582 黒田官兵衛とともに高松城開城に尽力。いわゆる中国大返しを成功に導く
1584 小牧・長久手の戦いに従軍
1585 朝廷より従四位下の官位を賜り、修理大夫に叙任。四国攻めでは阿波木津城を攻め落す
1586 大坂で死去

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宇喜多秀家

Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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