TRADITION

若き日の秀吉を支えた、
竹中重治(半兵衛)
「戦国武将名鑑」

2021.5.13
若き日の秀吉を支えた、<br>竹中重治(半兵衛)<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、若き日の秀吉を支えた名参謀、竹中重治(たけなかしげはる)です。

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生没年
1544~1579年
Place
美濃国(岐阜県南部)
Data
由来|竹中氏
改名|重虎(初名)→重治
正室|安藤守就の娘(得月院)

九枚笹

江戸時代に編纂された秀吉の伝記『太閤記』に登場し、天才軍師として有名になった重治(半兵衛)は、秀吉軍の中枢として活躍した。黒田官兵衛とともに“両兵衛”と呼ばれ親しまれている。美濃国に生まれ、父は斎藤氏の家臣だったとされ、のちに斎藤義龍に仕えた。信長の美濃侵攻の際は攻防を繰り広げて撃退しているものの、放蕩癖が激しかった義龍の態度には嫌気がさしていたとされる。斎藤氏の滅亡後は秀吉に仕え、中国侵攻に同行している。秀吉とは対等に口をきき、細かなことに注文をつけた。秀吉にとって、重治は戦闘を優位に進めるための知恵袋だったのである。これほどの軍師でありながら、重治の顔立ちは女性のようであり、体格も華奢で、武将とは思えない風貌だったと伝えられている。

「よき馬ゆえに
かえって名を失うこともある」

「値の高い馬は買い求めるべきではない」に続く言葉。貧相な馬に乗っていた半兵衛は、秀吉に理由を聞かれ、「よい馬に乗っていては馬のことを惜しみ、好機を逃してしまうため」と答えたという。

年表

1544 美濃国に生まれる
1560 家督を相続し、菩提山城主となって美濃国の国主・斎藤義龍に仕える
1563 織田軍と交戦。重治の戦術により斎藤勢が勝利
1564 稲葉山城を16人(17人という説も)の部下とともにわずか一日で奪取。斎藤家を去り、浅井長政に仕える
1567 羽柴秀吉(豊臣秀吉)に属する
1578 宇喜多氏の備前八幡山城を調略によって落城させ、信長に称賛された
1579 播磨国の三木城攻めの最中に病死

ゆかりのスポット

岐阜県の垂井町にある江戸時代の竹中氏の陣屋。重治の子・重門が築いた。

竹中陣屋
住所|岐阜県不破郡垂井町宮代2967-11
垂井町観光協会(事務局:垂井町役場 産業課内)
TEL|0584-23-2020(垂井町観光案内所)
URL|https//www.tarui-kanko.jp

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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