TRADITION

海外にも目を向けたキリシタン大名、
大友宗麟
「戦国武将名鑑」

2021.5.7
海外にも目を向けたキリシタン大名、<br>大友宗麟<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、海外にも目を向けたキリシタン大名、大友宗麟(おおともそうりん)です。

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生没年
1530~1587年

Place
豊後国(大分県)
Data
由来|大友氏(藤原氏秀郷流)
改名|塩法師丸(幼名)、義鎮、休庵宗麟
正室|一色義清の娘
継室|奈多夫人(奈多鑑基の娘)
側室|ジュリア

算木

豊後国を統治したキリシタン大名の代表的な人物で、大友義鎮の名でも知られている。禅宗に帰依していた宗麟がキリスト教を信仰するきっかけは、豊後国を訪れた宣教師フランシスコ・ザビエルとの出会いであった。以後、南蛮文化を積極的に取り入れ、領地に西洋医学を生かした日本初の総合病院を創設している。キリスト教信者の立場から寺院や神社の取り壊しを強行したとされ、はたまた酒食に溺れ、美人には目がない好色家だったともいわれる。暴君のイメージが根強いが、書画や茶道に造詣が深く、狩野永徳を招いて障壁画を制作させるなど文化人としての一面もある。海外との貿易も推し進め、経済にも通じていたという。宗麟の人物像は後世の脚色部分が広く流布してしまっており、評価が分かれる人物である。

「己の弱き判断を棄て、デウスの賢慮に服従す」

キリシタン大名の義鎮らしいひと言。義鎮は九州にキリシタンの国をつくろうと本気で考えていたことがあるほど、その教えに心酔していた。

年表

1530年 豊後国に生まれる
1550年 家督相続がきっかけとなった二階崩れの変で、義鎮が家督を相続し、第21代当主となる
1557年 北九州を制圧
1559年 豊前の守護に任命されるなど名実ともに九州における最大版図を築き上げる
1569年 肥前国の龍造寺隆信を討伐するため軍勢を率いて侵攻するが元就が、筑前国に侵攻してきたため撤退
1570年 今山の戦いで龍造寺隆信に弟の親貞を討たれ大敗
1578年 耳川の戦いで島津軍に大敗
1584年 立花道雪に命じて筑後侵攻を行い、筑後国の大半の奪回に成功
1586年 戸次川の戦いで大友氏救援に赴いた豊臣軍先発隊が壊滅。臼杵城に籠城していた宗麟は城を死守したが、島津義久により滅亡寸前にまで追い詰められた
1587年 豊臣秀吉の九州征伐に従軍。豊後国で病死

ゆかりのスポット

大分市の玄関口である大分駅前広場にあるにある大友宗麟の像。

大友宗麟像
住所|大分県大分市末広町1-1-28

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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