TRADITION

信長もおののく一流の戦国武将、
武田信玄
「戦国武将名鑑」

2021.5.3
信長もおののく一流の戦国武将、<br>武田信玄<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、信長もおののく一流の戦国武将、武田信玄(たけだしんげん)です。

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生没年
1521~1573年

Place
甲斐国(山梨県)
Data
由来|甲斐源氏武田氏
幼名|太郎
正室|三条の方(三条公頼の娘)
側室|諏訪御料人、禰津御寮人、油川夫人ほか

武田菱

いわゆる“風林火山”の軍旗で知られる甲斐を拠点とした信玄は、一、二を争う著名な戦国大名の一人だろう。宣教師ルイス・フロイスは、信長が最も恐れた相手として信玄の名を挙げているほど、当時からその才能は群を抜いていた。戦歴も華々しいもので、信玄は生涯にわたって70回もの戦を交えているが、敗戦はわずか3回といわれるほどである。1553年からはじまった川中島の戦いでは、生涯最大のライバルとなった上杉謙信と5回も合戦を繰り広げた。1572年には三方ヶ原の戦いで徳川家康を破っている。肖像画の風貌から荒武者のイメージが強いが、日本初となる金貨を鋳造するなど、領地の安定に尽力した一面もある。尾張地方へと遠征した西上作戦の途中、病が悪化して病死した。

人は石垣、人は城

戦において重要なものは城ではなく人の力である。個人の力や才能が発揮できるような集団をつくることができるかどうかで、勝敗は決まるのである。

年表

1521 甲斐国に生まれる
1536 元服をして、室町幕府第12代将軍・足利義晴から「晴」の文字をもらい「晴信」と改名
1541 父・信虎を追放。武田家19代目の家督を継承
1542 諏訪氏庶流である高遠頼継とともに諏訪領への侵攻を開始。諏訪領を平定
1550 小笠原領へ侵攻。勢いに乗って村上義清の支城である砥石城を攻めるが、砥石崩れと伝えられる大敗をする
1553 長尾景虎(上杉謙信)と、第一次川中島の戦いを行う
1561 第四次川中島の戦い。これを契機に信濃侵攻はひと段落。1564年の第五次川中島の戦いでは、上杉軍と対峙したいが衝突することなく終わる
1568 徳川家康と共同で駿河侵攻を開始。今川氏真を破り、今川館を一時占拠
1572 西上を開始。徳川家康を三方ヶ原の戦いで撃破
1573 信濃駒場で病死

ゆかりのスポット
「武田神社」

甲府市にある武田信玄を御祭神として祀る神社。宝物殿には、武田家ゆかりの品々が展示されている。

武田神社
住所|山梨県甲府市古府中町2611
TEL|055-252-2609
URL|http://www.takedajinja.or.jp

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宇喜多秀家

Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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