TRADITION

大仏殿を焼き払う悪評高き武将、
松永久秀
「戦国武将名鑑」

2021.5.1
大仏殿を焼き払う悪評高き武将、<br>松永久秀<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、大仏殿を焼き払う悪評高き武将、松永久秀(まつながひさひで)です。

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生没年
1510?~1577年

Place
山城国(京都府南部)
Data
由来|松永氏
改名|久秀→道意(号)
正室|三好長慶の娘
側室|小笠原成助の娘

君の信長を三度も裏切っているためか、数多くの武将の中でも久秀ほど悪評の高い人物も珍しい。畿内の覇権を握ることを目論んでいた久秀は、1565年に時の第13代将軍・足利義輝を滅ぼし、1567年には東大寺大仏殿の戦いに勝利して畿内征圧の足がかりをつくる。久秀が信長に仕えたのは1568年のこと。行動をともにし、朝倉義景の討伐にも同行するが、たびたび謀反を繰り返した。それでも許されたのは、信長から一定の評価を得ていたためだろう。最後の謀反は1577年のこと。石山本願寺を攻めていた信長に反逆し、大和信貴山城に籠城を図って抵抗するが敗北。愛蔵の名器の茶釜に爆薬を仕込んで自害した。最後まで壮絶な人生だった久秀だが、領民からの支持は高かったといわれ、二面性を持ち合わせた人物だった。

平蜘蛛の釜と首は、お目にかけようと思わぬ

平蜘蛛の釜は久秀が愛蔵していた茶釜で、信長に何度せがまれても渡すことがないほどお気に入りだった。最後に「粉々に打ち壊すことにする」と続くが、大和信貴山城で茶釜とともに久秀は爆死した。

年表

1510 阿波国・山城国西岡(にしのおか)・摂津国など出生については諸説ある
1540 三好長慶の右筆(書記)として仕える
1549 長慶が足利義輝らを追放して京都を支配すると、長慶に従って上洛し、三好家の家宰となり、弾正忠に任官
1559 大和信貴山城に移って居城とする
1560 興福寺を破って大和一国を統一。従四位下・弾正少弼に叙位・任官
1562年 六角氏と京都付近で戦い(将軍地蔵山の戦い)、六角氏と結んだ河内国の畠山高政を打ち破り(久米田の戦い、教興寺の戦い)、紀伊国へ追放する
1565 足利義輝を攻め滅ぼし(永禄の変)、さらにキリシタン宣教師を追放
1567 東大寺の大仏殿を焼く
1572 信長に叛くが、すぐに降伏
1577 信貴山城で爆死

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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