TRADITION

秀吉の信頼厚い豊臣政権の大老格、
小早川隆景
「戦国武将名鑑」

2021.5.10
秀吉の信頼厚い豊臣政権の大老格、<br>小早川隆景<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、秀吉の信頼厚い豊臣政権の大老格、小早川隆景(こばやかわたかかげ)です。

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生没年
1533~1597年

Place
安芸国(広島県西部)
Data
由来|毛利氏→小早川氏
改名|徳寿丸(幼名)→小早川隆景
正室|問田の大方(小早川正平の娘)

三頭左三巴

安芸国・毛利元就の三男として生まれる。1555年の厳島の戦いでは毛利水軍の指揮官としても活躍し、勝利に貢献した。毛利輝元とともに西国の平定にも尽力するなど、毛利家の戦いを指揮している。豊臣秀吉とはライバル関係だったが、備中高松城攻めの際の講和を機に協力関係を結ぶ。その後は秀吉の四国征伐に同行したほか、1592年にはじまった朝鮮出兵にも参加するなど、秀吉を支え続けた。豊臣政権下では大老格の一人となった。隆景は、生涯を通じて父である元就の「競って天下を望まず」という遺訓を守り抜いたといえよう。敵だった隆景がここまで厚遇されたのは、彼の器量の大きさが評価されたためといわれている。秀吉に「これからの日本を任せられるのは直江兼続と小早川隆景」と言わしめたほどであった。

人好きせざらんは、物事無骨に世事に疎し

「どんなに才能や知識がある人でも人に好かれなければ何事もうまくいかないし、世情にも疎くなってしまう」という教え。

年表

1533 毛利元就の三男として安芸国に生まれる
1544 竹原小早川家の家督を相続
1550 沼田小早川家の家督を相続することで。竹原・沼田の両小早川家を統合
1555 厳島の戦いで、陶晴賢(隆房)率いる大内水軍を破って海上を封鎖。毛利軍の勝利に大いに貢献する
1564 この年から3年間に及ぶ月山富田城の戦いで、宿敵・尼子氏を滅ぼす
1576 第一次木津川口の戦いで、小早川水軍と村上水軍を主力とする毛利水軍が、織田方の九鬼水軍を破る
1583 賤ヶ嶽の戦いでは中立を保ったが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が柴田勝家を破ると、秀吉に従属する
1587 豊臣秀吉の九州征伐に参加し、筑前・筑後・肥前1郡を与えられる
1595 養子の羽柴秀俊(小早川秀秋)に家督を譲り隠居
1597 三原城で病死

ゆかりのスポット

現在の広島県三原市に建てられた城。満潮時には海に浮かんだように見えることから浮城とも呼ばれた。

三原城本丸跡
住所|広島県三原市城町
TEL|0848-64-9234(三原市教育委員会文化課)

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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