TRADITION

真田十勇士を率いたヒーロー、
真田幸村(信繁 )
「戦国武将名鑑」

2021.5.24
真田十勇士を率いたヒーロー、<br>真田幸村(信繁 )<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、真田十勇士を率いたヒーロー、真田信繁(さなだのぶしげ)です。

≪前の記事を読む

生没年
1567~1615年

Place
信濃国(長野県)
Data
由来|武藤氏→真田氏
幼名|弁丸(幼名)→真田信繁→好白(法名)
正室|竹林院(大谷吉継の娘)
側室|堀田興重の娘

六連銭

信濃国に生まれた戦国大名で、一般的には真田幸村の名前で知られている。忍者集団の真田十勇士を率い、豊臣家に生涯忠誠を誓った人物として英雄視され、没後には多くの講談の主人公になった。関ヶ原の戦いで家康軍に敗北した後も豊臣家との関係を深め、大坂冬の陣・夏の陣では豊臣軍の中心となって活躍した。大坂夏の陣では家康の軍勢に果敢に攻め込むが、負傷した味方の兵士を看病している際に攻撃を受け、49歳で戦死した。家康は、敵となった人物でありながら信繁の人物像を高く評価しており、「あの世に行ったら真っ先に酒を酌み交わしたい」と語ったという。信繁は武将のイメージとはかけ離れた性格の持ち主で、柔和で辛抱強く、普段は物静かで怒ることはめったになかったと伝えられている。

「関東勢百万と候え、男は一人もなく候。」

大坂夏の陣で、徳川方の軍勢に対して言い放った言葉。信繁は「百万という大群の中にも、勇壮な男はいないのだな」と嘲笑したのである。

年表

1567 信濃国に生まれる
1575 父・昌幸が長篠の戦いで長兄・信綱と次兄・昌輝が戦死したため、家督を相続
1585 第一次上田合戦で徳川氏と戦うも、人質として上杉家に置かれる
1587 豊臣秀吉の人質となるため大坂へ。このとき豊臣家臣の大谷吉継の娘を正妻に迎えている
1590 小田原征伐で初陣
1594 従五位下に叙任
1600 関ヶ原の戦いで西軍につき、父・晶幸とともに九度山へ配流
1612 出家し、好白と名乗る
1614 方広寺鐘銘事件をきっかけに徳川氏と豊臣氏の関係が悪化。豊臣氏は信繁に使者を派遣。信繁は大坂城へ入城する
1615 大坂夏の陣で戦死

ゆかりのスポット

真田氏が本拠とした長野県上田市の城。真田昌幸が築城し、現在は上田城跡公園として整備されている。

住所|長野県上田市二の丸
TEL|0268-23-5408(上田市観光課)
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/kankojoho/

読了ライン

 

山陰の麒麟児、山中鹿之助(幸盛)
 
≫次の記事を読む

知っておきたい人気の武将40人「戦国武将名鑑」
戦国時代の主な出来事
戦国武将勢力MAP
北条早雲
斎藤道三
毛利元就
松永久秀
今川義元
武田信玄
山本勘助
明智光秀
上杉謙信
大友宗麟
立花道雪
柴田勝家
小早川隆景
織田信長
滝川一益
竹中重治
黒田官兵衛
島津義弘
佐々成政
豊臣秀吉
蜂須賀正勝
前田利家
長宗我部元親
徳川家康
服部半蔵
前田慶次
・真田信繁(幸村)
山中鹿之助(幸盛)
古田重然(織部)
山内一豊
藤堂高虎
蒲生氏郷
石田三成
島左近
直江兼続
福島正則
加藤清正
森蘭丸
伊達政宗
宇喜多秀家

Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

長野のオススメ記事

関連するテーマの人気記事