TRADITION

圧倒的な戦績を誰もが認める軍神、
上杉謙信
「戦国武将名鑑」

2021.5.6
圧倒的な戦績を誰もが認める軍神、<br>上杉謙信<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、圧倒的な戦績を誰もが認める軍神、上杉謙信(うえすぎけんしん)です。

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生没年
1530~1578年表

Place
越後国(新潟県)
Data
由来|府中長尾氏→山内上杉氏
改名|虎千代(幼名)→長尾景虎→上杉政虎→輝虎→不識庵謙信

竹に飛雀(上杉笹)

謙信は、春日山城で49歳の生涯を閉じるまで、織田信長や北条氏康らと熾烈な戦いを繰り広げた戦国大名。天才肌な人物像と、圧倒的な戦績から“軍神”と呼ばれることも多い。とりわけ、武田信玄とは川中島の戦いで5回も激突し、最大のライバルといわれる。謙信といえば“毘”の一文字の軍旗が有名だが、これは自らを毘沙門天の化身と信じて疑わなかったためで、戦の前には必ず毘沙門堂に籠って戦勝祈願をしていたという。また、無類の酒好きだったともいわれている。ちなみに、謙信が女性だったという説があるが、これはスペインの船乗り・ゴンザレスがフェリペ2世に宛てた書状の文面に由来する。信憑性に疑問が残る説ではあるものの、ゲームやTVドラマでは、女性説を設定に反映させた作品がたくさんある。

目前に迫っている一戦を大事にするのみである

「わしは国を取ることは考えず、後の勝利も考えず」に続く言葉で、信玄に破れてやってきた村上義清に言った。信玄は、後の勝ちを大切にするのは国を多くとりたいからだ、と話していた。

1530年 越後国に生まれる
1536年 父・為景が隠居。兄の晴景が家督を継ぎ、虎千代(謙信)は林泉寺に入門
1543年 元服。初陣
1548年 晴景に代わって景虎(謙信)を守護代に据える動きが盛んになる。家督を相続し、守護代となる
1553年 上洛し、後奈良天皇と室町幕府第13代将軍の足利義輝に謁見。また武田信玄との川中島の戦いがはじまる
1557年 北条氏康に攻められた関東管領・上杉憲政を保護。関東管領職を継ぐ
1561年 第四次川中島の戦いを機に上杉軍と武田軍の抗争はほぼ収束する
1573年 越中を平定
1578年 春日山城で病死

ゆかりのスポット

長岡市にある謙信自ら開基となって創建した寺。現在の建物は1979年に再建したもの。

常安寺
住所|新潟県長岡市谷内2-7-7
TEL|0258-52-2318
URL|https://www.joanji.jp/

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
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