TRADITION

秀吉の恩に義で応える、
石田三成
「戦国武将名鑑」

2021.5.30
秀吉の恩に義で応える、<br>石田三成<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、秀吉の恩に義で応える武将、石田三成(いしだ みつなり)です。

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生没年
1560~1600年

Place
近江国(滋賀県)
Data
由来|石田氏
改名|佐吉(幼名)→三也→三成
正室|皎月院(宇多頼忠の娘)

大一大万大吉

近江国に生まれた三成は、子どもの頃に観音寺というお寺に預けられていた。このとき、偶然お寺に立ち寄った秀吉との出会いが、彼の人生を大きく変えたのだった。三成の気配りを物語る、“三杯のお茶”の話はあまりに有名だ。一杯目はぬるいお茶をたっぷり、二杯目は温かいお茶を半分、三杯目はとても熱いお茶を持ってきたというもの。最初はぬるいお茶でのどの渇きを潤してもらい、最後はお茶をじっくり味わってもらおうと三成は考えたのである。この心遣いにいたく感動した秀吉は、家臣として三成を迎え入れた。三成は恩に報いるべく、秀吉亡き後も豊臣家を支え、関ヶ原の合戦で豊臣方の軍勢を率いた。結果は家康に完敗して斬首されてしまうが、主君のために果敢に戦った生き様は高く支持されている。

「大義を思うものは、命を大切するものだ。」

正しくは「大義を思うものは、首をはねらるる前であろうとも命を大切するものだ」。三成が処刑される直前に残した言葉。捕えられてからも、最期まで家康打倒の気持ちを捨ててはいなかった。

年表

1560 近江国に生まれる
1574 この頃羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕官
1583 賤ヶ嶽の戦いで柴田勝家の動向を探る偵察を担当
1584 小牧・長久手の戦いに従軍
1585 豊臣秀吉の関白就任に伴い、従五位下・治部少輔に叙任。この頃近江水口城主になる
1577 九州征伐に出陣
1590 小田原征伐に参陣。忍城水攻めを行う
1592 文禄の役では渡海し、増田長盛や大谷吉継とともに漢城に駐留して朝鮮出兵の総奉行を務める
1595 秀吉の甥・豊臣秀次を謀反の嫌疑により糾問する。その後、佐和山城主になる
1598 秀吉が病死。その後、徳川家康の勧めで佐和山に隠居
1600 関ヶ原の戦いに敗れ、京で斬首

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関ヶ原の戦いで大活躍、島左近
 
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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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