大胆戦法で敵を圧倒!
北条早雲
「戦国武将名鑑」
15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、遅咲きながらも大胆戦法で敵を圧倒した、北条早雲(ほうじょうそううん)です。
生没年
1432?~1519年
Place
備中国(?)(岡山県西部)
Data
由来|北条氏
改名|新九郎→早雲庵宗瑞(号)
正室|小笠原備前守の娘
側室|葛山氏、南陽院殿
早雲は伊勢の素浪人の出身とされる。素浪人から戦国大名へ成り上がった彼の人生は下剋上の典型として知られているが、格式の高い武家の出身で室町幕府の役人だったという説もあり、出自がはっきりとわからない謎の多い人物といえる。50歳を過ぎてから活躍したということもあって、大器晩成型の戦国大名として知られるとともに、東国の戦国大名のはしりとされる存在だ。1476年、家督争いを収束させた功績が認められて今川家の守護代格となる。1493年には伊豆の堀越御所を奇襲して武将としての頭角を現し、1495年にはたいまつをつけた牛を使った火牛攻めの戦法で小田原城を攻め落とすなど、大胆な戦法で関東地方への進出を図った。晩年は相模地方の平定に心血を注ぐが、88歳で没する(64歳没という説もある)。
上下万民に対し、一言半句、虚言を申すべからず
君主となるものは民衆に対してほんのわずかなひと言でも嘘をついてはならず、ささいな嘘であっても、民衆から信頼を失う原因になるという考え。現代社会にも十分生かせるひと言だ。
年表
1432年 備中国で生まれたとされている説が有力。生年は1456年という説も
1486年 駿河へ下る。今川家の家臣となり、内紛を調停する
1491年 この頃、早雲庵宗瑞と法名になっており、出家したとされている
1493年 伊豆堀越御所の茶々丸を攻撃(伊豆の討ち入り)
1495年 相模小田原の大森藤頼を討ち小田原城を奪取
1497年 伊豆国を平定
1509年 これ以降は、今川氏の武将としての活躍はほとんど見られなくなり、相模平定に集中する
1516年 扇谷朝興が三浦氏救援のため玉縄城を攻めるが上杉はこれを打ち破る。相模全域を平定
1519年 韮山城で病死
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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」