空海の出世人生に、現代を生きるヒントがあった!
はじめての空海と密教
密教を日本に広めた僧侶として知られる空海。密教ってなに?空海はどんなことをした人?そんな人にもよくわかる《はじめての空海と密教》。第2回は空海研究の第一人者である福田亮成さん監修のもと、数々の伝説を残し、民間信仰の対象となるほど人々を魅了した空海の生涯に迫ります。
大正大学名誉教授
福田亮成(りょうせい)さん
真言宗智山派成就院長老。大正大学名誉教授。著書に『知識ゼロからの空海入門』(幻冬舎)など、密教世界をわかりやすく伝える著書多数
人の心を掌握するのに
長けていた“人間ツウ”空海
日本で真言密教を広めた宗教家でありながら、庶民に開かれた仏教総合大学を創設したり、アーティストとしての才能を発揮したりと、多方面で活躍した弘法大師空海。
天才密教僧の生まれ変わりとして誕生したという出生秘話や、周囲から一目置かれる神童として幼少期を育ったというエピソードが残されている。唐に渡って密教最高位の阿闍梨位を授かるまでにも多くの「空海伝説」を残しており、こういった逸話には枚挙にいとまがない空海だが、空海研究の第一人者である福田亮成さんによると、弘法大師空海の魅力はこういった神格的な存在にあるのではなく、人の心をつかむ“人間ツウ”の部分であると語る。
「弘法大師空海に魅了された一人として知られるのが、文芸の教養があった嵯峨天皇です。重大な政治的危機を乗り切ったばかりの嵯峨天皇は、弘法大師空海が行った密教の鎮護国家の修法を信頼し、交流を深めていきました。空海は、滞在していた乙訓寺の庭のミカンのなる木から実を取り、籠に詰めて自作の詩とともに嵯峨天皇に贈り物をしたという記録も残っています。
書や詩を好んでいた嵯峨天皇は、この気遣いに大いに喜んだといわれています。また、天皇に召し出された折は、屏風や詩書、梵書など、唐から持ち帰ったものの中から嵯峨天皇が好みそうなものを選んで献上したようです。こういった交流関係から、単なる天皇と僧侶の上下関係を超えた友人関係を築き、嵯峨天皇は弘法大師空海の最大協力者になっていくのです」。
このように芸術的なセンスももち合わせている弘法大師空海。それは修行だけを行う宗教家にはない魅力であり、多様な世界を同時にもっている証しだ。
「弘法大師空海は、多くの著書や文章に自分の思想や哲学を書き残すだけでなく、文字だけでは伝わりにくい密教の世界観を曼荼羅でもって説明しています。時には詩的な言葉を使って相手を動かすなど、芸術的なアプローチからも悟りの世界を表現し、人々を魅了していったのだと思います」。
マルチクリエイターともいえるさまざまな顔は、密教を布教するツールに過ぎない。培った知識や才能を、私腹を肥やすために使ったわけではなく、密教の世界観を一人でも多くの人に伝えるために、できる限りの手段を尽くした結果といえるだろう。
逸話が満載、空海の出世人生
1歳 誕生
母・玉依御前が、インドから聖人が飛来して懐中に入る夢を見たその日に懐妊、その1年後に弘法大師空海を出産した。この日は中国で密教を広めた不空三蔵が入滅した日だったといわれる。
15歳 将来を嘱望された、順風満帆な神童時代
現在の香川県に誕生し、成長した弘法大師空海。幼い頃から仏教に親しみ、読み書きに優れていた。周囲は「貴物」と呼び、神童といわれるエピソードを多く残す。15歳になると伊予親王(桓武天皇の皇子)の個人教授だった母方のおじである阿刀大足に従い勉強をはじめ、奈良に上る。3年間、漢籍(漢文で書かれた書籍)を学ぶ。
18歳 奈良の大学に進学するも2年で中退。アウトローの道へ
18歳で大学に入学するも、おじからみっちりと教育を受けてきた弘法大師空海にとって大学の学問は満足のいくものではなく、貴族の子弟である同輩と同じように“官吏になって安泰に暮らす”という将来に疑問を感じるようになる。そんな折、ある修行僧との出会いから、私度僧(政府の許可なく出家をした僧侶)となり修行をはじめる。
こんなとき、空海はどうした?①
「人生の進路を大きく転換したい!」
→仏門に入る決意を戯曲にまとめて発表
将来を有望視されていた弘法大師空海は、出家を周囲から猛反対される。そこで『三教指帰』を著し、出家宣言をする。儒教や道教よりも仏教が優れているという考えを戯曲仕立ての物語で表現し、説得したという。
20歳 四国の室戸岬で修行中、人生を変える神秘体験をする
虚空蔵菩薩の真言を50日あるいは100日で100万回唱える「虚空蔵求聞持法」を行っていると、明星(虚空蔵菩薩の化身)が口中に飛び込み、自分の意識が大宇宙に溶け込んでいくのを感じたという。この経験から仏教への確信を深めた弘法大師空海は、24歳に出家を宣言。出家の動機を記した『三教指帰』を著す。
31歳 運さえ味方につけて遣唐使船に乗り込み、いざ唐へ
24〜31歳までは「空白の7年間」と呼ばれ、記録が残っていない。久しく途絶えていた遣唐使派遣が再開されたチャンスをつかみ、31歳で遣唐使船に乗る。それまで私度僧だった弘法大師空海は、急遽受戒し正式の僧となる。その翌月には、晴れて留学僧として、欠員が出た遣唐使船に乗ることができた。
こんなとき、空海はどうした?②
「留学中を、どう過ごすせばいい?」
→時間は金で買える?! 20年分の滞在費を1年半で使い切る
遣唐使に参加するには莫大な留学費用がかかるが、弘法大師空海は異例の早さで資金を調達。世界中の文化が集まる大都市・長安で、語学や知識を習得のために20年分の滞在費をわずか1年半で使い切り、見聞を広げた。
32歳 密教の根本道場に弟子入り、わずか3カ月で阿闍梨となる
世界中の文化や思想が集まる、唐の都・長安。半年間、語学やさまざまな宗教を学んだ後、密教の根本道場である青龍寺の門をたたく。偉大な密教僧・恵果阿闍梨は、弘法大師空海に「あなたが来ることはわかっていた。私はすべてを授ける」と言ったという。仏の教えを授かり、わずか3カ月で密教を体得。最高位である阿闍梨位を継承した。
33歳 師匠の遺志を継ぎ、留学を2年で切り上げ帰国する
密教の正統な継承者となった弘法大師空海は、60歳で生涯を終えた恵果阿闍梨から布教に努めるよう告げられる。師の言葉を受け、本来は20年間滞在しなければならないところ、2年で帰国。無断帰国の罪から入京の許しが出ず、3年間大宰府で足止めされる。
こんなとき、空海はどうした?③
「フォロワーが少ないけれど、教えを広めたい!」
→弟子を全国に派遣し、草の根布教活動
私度僧だった弘法大師空海には弟子がいなかった。そのため留学を終えて長安から戻ってきた直後は、親戚など身近な人を弟子に取り、地道な布教活動をしていったという。
34歳 真言密教の本拠地として、高野山を開山する
鎮護国家のために祈祷するなど、国内で地位を得た弘法大師空海。伝教大師最澄も空海に密教の教えを乞いに訪れる。43歳になると鎮護国家と仏道修行のための寺を創建したいと考え、後に紀州の高野山を開山。
こんなとき、空海はどうした?④
「寺を建てたいけど資金が足りない!」
→クラウドファンディング”で資金調達!
弘法大師空海は、涓塵(ごくわずかなおを多くの人から集めること)の大切さを述べているが、高野山開創の際には、多くの人々から信用を得て寄付金を集めたとされる。
50歳 天皇から東寺を与えられ、教王護国寺と号し造営する
高野山造営に打ち込む弘法大師空海のもとに、嵯峨天皇から東寺を下賜する知らせが届く。これにより高野山を修禅の場、東寺を宣布や鎮護国家の場として造営。「真言宗」という呼称を用いて宗派を明確化した。
こんなとき、空海はどうした?⑤
「どこを拠点に生きていくべきか?」
→それぞれの土地特性を生かした多拠点生活
京都の神護寺を住居に、東寺を対外的な折衝機関や教学研究、高野山を修行の場と、いまでいう多拠点生活をしていた。政治から付かず離れずの絶妙な距離を取っていた。
62歳 なくなる日と時刻までを予言し、入定する
55歳で総合教育機関を創設した頃から、寺にこもり、著作に没頭。59歳からは高野山にこもって坐禅をしていたという。62歳で弟子に「3月21日寅の時刻に山に帰る。私が世を去っても嘆き悲しまず、信仰せよ」と遺言を伝え、その通りに入定(悟りの境地に入ること)した。
弘法大師の諡号が与えられ「大師さま」として信仰の対象となる
空海は分身の術が使えた!?
日本全国に伝説が残るワケ
入定後、921年に醍醐天皇から「弘法大師」の諡号を授けられた空海。常人離れした逸話は誕生秘話からスタートしているが、杖で突くと水が湧き出たなど、「空海伝説」といわれる多くの超人的な逸話を生涯において残している。
また、なくなってもなお入定されている「お大師さま」として信仰の対象となり、全国に「弘法伝説」が語り継がれた。その数の多さに、空海が多数存在した、空海と弘法大師が別人物であると考える人もいたという。実在の人物が信仰の対象となったのは後にも先にも空海だけだ。
これらの伝説を各地に広めたのは「高野聖」と呼ばれる鎌倉時代以降に全国を勧進遊行した高野山の僧とされる。彼らによって、真言密教を体系化した実在の空海とは異なり、信仰の対象としての「弘法(大師)信仰」が生まれた。弘法大師ゆかりの霊場は「弘法大師霊場」とされ、「四国八十八カ所」をはじめ全国に存在し、現在でも多くの人々が巡礼している。
line
≫続きを読む
《はじめての空海と密教》
1|マルチクリエイター空海の9つの顔
2|現代を生きるヒントになる! 空海の出世人生
3|密教は当時最先端のライフスタイルだった?
4|密教をより深く知るためのキーワード
text: Akiko Yamamoto illustration: Susumu Zenyoji
参考文献:『イラストでわかる 密教 印のすべて』(藤巻一保著・PHP研究所)、『空海辞典』(金岡秀友編・東京堂出版)、『KOYASAN Insight Guide 高野山を知る一〇八のキーワード』(高野山インサイトガイド制作委員会・講談社)、『国宝・重要文化財大全 4 彫刻(下巻)』(文化庁監修・毎日新聞社)、『仏像図典』(佐和隆研編・吉川弘文館)、『マンダラの仏たち』(頼富本宏著・東京美術)
2019年5月号 特集「はじめての空海と曼荼羅」