TRADITION

入定した空海が生き続ける「奥之院」
空海の聖地を訪ねる。

2020.9.12
入定した空海が生き続ける「奥之院」<br><small>空海の聖地を訪ねる。</small>
午前6時前。御供所でつくられた生身供が唐櫃(からびつ)に納められ、御廟橋(みみょうのはし)を渡って燈籠堂へと運ばれていく

高野山二大聖地のひとつ「奥之院」。いまもここで生き続けているとされる弘法大師空海には、朝食として6時、昼食として10時半、日に2回の食事「生身供(しょうじんぐ)」が捧げられています。まさに聖域と呼ぶにふさわしい雰囲気に満ちた「奥之院」の魅力を紹介します。

弘法大師空海の教えを五感で感じる聖域

金剛峯寺から歩いて15分ほどで現れる一の橋。そこから約2㎞、弘法大師御廟まで続く一帯が、高野山二大聖地のもうひとつ、奥之院だ。参道の両脇に天高くそびえる杉木立、その中にはおびただしい数の墓石と燈籠が建ち並び、深閑とした空気が漂う。

835(承和2)年、弘法大師空海はこの地で禅定(永遠の瞑想)に入った。都を離れ高野山にこもって4年目の3月15日、弟子たちを集め「自分は21日に永遠の禅定に入り、弥勒菩薩のもとで皆を見守る」と告げ、予言通り入定。ここではいまも弘法大師空海が生き続けると信仰される。

高野山の大自然と一体化した心情を記す一篇がある。「閑林に獨坐す 草堂の暁 三寶の聲 一鳥に聞こゆ 一鳥 聲有り 人 心有り 聲心雲水倶に了了たり」。入定の地をここに定めたのは、空や風、動植物と自らが溶け合うように瑜伽の境地に達する地に、深く心を寄せていたからだろうか。

奥之院には、高野山を焼き討ちにしようとした織田信長の墓から、高麗の役の戦死者を敵味方なく弔う供養塔、浄土宗開祖・法然の供養塔や、浄土真宗開祖・親鸞の霊屋まで。敵も味方も異宗派も、何者をも大らかに受け入れる真言密教の思想と弘法大師空海への信仰が、いまも静かに息づいている。

空海と高野山の歩み

816(弘仁7)年6月19日
空海、高野山の下賜を請う
816(弘仁7)年7月8日
高野山開創の勅許を賜る
818(弘仁9)年
空海、勅許後はじめて高野山に登る
819(弘仁10)年
空海、高野山上七里四方に結界を結び、伽藍建立に着手
835(承和2)年3月21日
空海、高野山奥之院で入定

救いを求めていまも昔も多くの五輪塔が立ち並ぶ
杉木立に20万基以上の墓や供養塔が建ち並ぶ奥之院。戦国武将から近現代の実業家まで約1200年の間に高野山に心を寄せた人々の実在を感じる地。宗派・国籍を問わずいまも人々を懐深く受け入れる。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺
住所|和歌山県伊都郡高野町高野山132
Tel|0736-56-2011
拝観時間|金剛峯寺・金堂・根本大塔 8:30〜17:00(受付は16:30まで)
拝観料|金剛峯寺/500円、小学生200円、未就学児無料 金堂・根本大塔/200
www.koyasan.or.jp

text=Kaori Nagano(Arika Inc.) photo=Kazuma Takigawa plan=A2 WORKS
2019年5号 特集「はじめての空海と曼荼羅」


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5|入定した空海が生き続ける「奥之院」

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