伊勢神宮のルーツを古事記からひも解く
伊勢神宮入門 – 1
年末年始はもちろん、年を通して伊勢神宮へ参拝に出掛ける人は多いでしょう。しかし、伊勢神宮のことを知っている人はどれくらいいるのでしょうか? 参拝に行く前に知っておきたい、神社の本宗である伊勢神宮のルーツから基礎知識、参拝の際に役立つ情報を紹介する本連載。初回は、伊勢神宮が現在の地に鎮座している理由を『古事記』からひも解きます。
伊勢神宮はなぜ現在の地に創建されたのか?
もともとは天皇の住まいである宮中に、オオモノヌシノミコトとともに祀られていた天照大御神(あまてらすおおみかみ)。『古事記』によると、建国の祖とされる神武天皇から数えて10代目の崇神(すじん)天皇の時代、国中に疫病が蔓延した。どうすればよいのか悩んだ天皇がその原因を神にたずねたところ、オオモノヌシノミコトが「私をオオタネヒコノミコトに祀らせるように」とお告げをする。
『古事記』では、このオオタネヒコノミコトはオオモノヌシノミコトの子孫にあたる人物とされており、崇神天皇は早速オオタネヒコノミコトを探し出して、オオモノヌシノミコトを宮中から三輪山へ移して祀るようにした。
すると疫病はたちまち治まり、国には平和が戻る。疫病はオオモノヌシノミコトのたたりだったわけだ。このような神のたたりは、政権交代などでおろそかにされていた祭祀の再開を神が求めるものだと考えられている。
さて、これと同時に天照大御の引っ越しも行われる。崇神天皇は皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に命じ、天照大御神を大和の笠縫邑(かさぬいむら)へ。
崇神天皇の跡を継いだ垂仁天皇に、「天照大御神さまを祀るに最適な場所を探すように」と命じられた倭姫命(やまとひめのみこと)は、笠縫邑を出て、あちこちと移動。「ここだ!」という場所を長年にわたり探した。
『日本書紀』によると、伊勢に着いたとき天照大御神が、宇治の五十鈴川上を大変気に入り、天照大御神自身が倭姫命にお告げをしたとされている。伊勢神宮が現在の地に創建されたのは、こういった経緯があったからだと伝えられている。
伊勢神宮創建の立役者!
倭姫命(ヤマトヒメノミコト)
ヤマトタケルの叔母。信仰深く献身的な性格で愛にあふれた女性。ねばり強く、伊勢神宮創建の立役者でもある。おいをかわいがり、遠征を命じられグチるヤマトタケルを援助する優しく大きな心をもっている。
倭姫命のご巡幸
倭姫命の移動ルート「倭姫命のご巡幸」。「元伊勢」という地名が数カ所に残っているのは、伊勢に落ち着く前に一時的に祀られていたことを示しています。
内宮と外宮では祀られている神さまは異なります。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)が伊勢に鎮座してから500年後、当時の天皇である雄略天皇の夢枕に天照大御神が立ち「丹波の国の真奈井(まない)にいる食の神・豊受大御神(とようけのおおみかみ)をここへ呼びなさい」と告げた。この言葉に従い、外宮に丹波の国から豊受大御神を迎えると、外宮の中に御饌殿(みけでん)を造営。ここで朝夕、天照大御神に捧げる食事(御饌)を供えることになった。伊勢神宮に大小さまざまな宮がある中で、天照大御神が祀られた内宮と豊受大御神が祀られた外宮は別格。どちらも正宮と呼ばれているが、同列ではなく内宮がすべての中心になっている。
〈外宮〉
衣食住のほか、産業の守護神として崇められる
豊受大御神(とようけのおおみかみ)
御饌都神とも呼ばれる、神さまに供える食事を司る神さま。いまでは食事だけでなく、衣食住全般、さらには産業の神さまとしても崇められている。
〈内宮〉
目に見える世界を司る高天原の主神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
天界を治める太陽の神。弟に、 須佐之男命(スサノオノミコト)や、月読命(ツクヨミノミコト)がいる。古事記や日本書紀では、天照大御神の孫の 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が地上に降り天皇の祖先となったとされている。
読了ライン
伊勢神宮
住所|三重県伊勢市宇治館町1
Tel|0596-24-1111(神宮司庁)
伊勢神宮入門
1|古事記からひも解く伊勢神宮のルーツ
2|知っているようで実は知らない神宮の基本
3|外宮と内宮の全体像を俯瞰してみよう
4|伊勢神宮の見どころを厳選して案内!
text=Ichiko Minatoya,Takehiro Nambu photo=Harumi Obama,Ko Miyaji,Haruo Nakano,Tsutomu Watanabe illustration=matya、A2WORKS
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