信長への忠誠心から秀吉に反抗!
佐々成政
「戦国武将名鑑」
15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、信長への忠誠心から秀吉にとことん反抗した人物、佐々成政(さっさなりまさ)です。
生没年
1536?~1588年
Place
尾張国(愛知県)
Data
由来|佐々氏(近江源氏)
正室|慈光院(村井貞勝の娘)
はじめは織田信長の馬廻を務めていたが、実力が買われて国持大名まで出世した武将である。信長への忠誠心は強かったとされ、本能寺の変の後は家康とともに秀吉に抵抗したといわれている。成政の名が知られるようになったのは、1584年、小牧・長久手の戦いの後にとった“さらさら越え”の逸話だろう。成政は家康に援助を求めるため、極寒期の北アルプスを越え、遠江浜松まで踏破したといわれている。しかし、家来の半数を凍死で失った末、浜松城で家康と面会するものの快い返事を得ることはできなかったという。領地の整備には熱心で、水害が多かった越中に堤防を造成して、領民の支持を集めたとされる。また、気前のよさでも定評があり、最初に提示した石高以上の知行を家臣に与えたと伝えられている。
クロユリ伝説は本当なのか!?
成政は、秀吉の正室・おねと側室・淀殿の争いに巻き込まれてしまった。成政は寧々に珍しいクロユリの花を贈り、たいそう喜ばれた。しかし、それを知った淀殿はより美しいクロユリを取り寄せたため、おねはショックを受け、恥をかかせた成政を憎むようになったという。これを知った秀吉が、成政を自刃に追い込んだといわれている。
年表
1536年 尾張国春日井郡比良城にて生まれたとされている
1560年 兄が二人いたが、相次いで急死。家督を継ぐ
1561年 森部の戦いで敵将の稲葉又右衛門を池田恒興とともに討ち取る大功を立てる
1567年 黒母衣衆筆頭に抜擢される
1570年 姉川の戦いに先立つ「八相山の退口」で、簗田広正・中条家忠らとともに少数の馬廻衆を率いて殿軍に参加し、鉄砲隊を用いて活躍したとされる
1578年 能登に侵入した上杉勢を攻めるために柴田勝家らとともに加賀へ侵攻。しかし、七尾城の陥落を受け撤退
1580年 丹波国亀山城主になる
1584年 小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉方につく素振りをするも徳川家康・織田信雄方につき、末森城の戦いが起こる
1585年 秀吉に一命を助けられたものの領土を没収
1588年 摂津尼崎の法園寺にて自刃する
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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」