TRADITION

巧みな戦闘で伊勢の城主に君臨、
滝川一益
「戦国武将名鑑」

2021.5.12
巧みな戦闘で伊勢の城主に君臨、<br>滝川一益<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、巧みな戦闘で伊勢の城主に君臨した武将、滝川一益(たきがわかずます)です。

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生没年
1525~1586年

Place
近江国(滋賀県)
Data
由来|滝川氏
改名|久助(幼名)→一益
正室|不明

丸に立木瓜

織田信長の家臣として活躍し、柴田勝家らとともにいわゆる織田四天王の一人に数えられている。その巧みな戦闘姿勢は、しばし「進むも退くも滝川」と評価された。信長に仕えるきっかけは鉄砲の扱いが上手かったためといわれており、1575年の長篠の戦いにおいては鉄砲隊の指揮官として才能を発揮し、信長を勝利へと導く。石山本願寺の合戦でも食糧の補給路を断ち、守備を完全に破壊。1582年にはじまる甲州征伐では武田勝頼を討ち取るなどの戦功を上げ、関東の鎮定にあたっている。このように、信長の勝利の陰には一益の姿があったが、最晩年は不遇だったといわれており、隠退して出家生活を送ったという伝承も残されている。茶人としても知られ、信長の所蔵する茶器を欲していたともいわれている。

「大名たる我は
あの鶴の身持ちと変わらぬ」

「汝ら家臣は鶴を羨まず、雀の楽しみを楽しめ」と続く。鶴は敵から狙われやすく、常に周囲に警戒する必要があるが、雀は気が楽だ。家臣たちに「鶴を羨ましがらずに雀の立場を楽しめ」と諭した。

年表

1525 近江国に生まれる
1563 松平家康(徳川家康)との同盟交渉役を担う(清洲同盟)
1572 佐久間信盛らとともに三方ヶ原の戦いにおいて籠城を支援
1573 伊勢長島一向一揆の討伐で活躍し、伊勢に領地を与えられる
1574 長篠の戦いに参陣。鉄砲隊の総指揮を執る
1582 甲斐の武田家攻めの軍監(目付)になる。神流川の戦いで北条氏に大敗
1583年 賤ヶ嶽の戦いにおいて勝家が敗死するなど味方を失い、籠城戦の末に降伏。所領をすべて没収され、越前国で隠居
1586 越前国で病死

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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