TRADITION

家臣との信頼関係で大出世!
蒲生氏郷
「戦国武将名鑑」

2021.5.29
家臣との信頼関係で大出世!<br>蒲生氏郷<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、家臣との信頼関係で大出世した逸材、蒲生氏郷(がもう うじさと)です。

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生没年
1556~1595年

Place
近江国(滋賀県)
Data
由来|蒲生氏(藤原姓)
改名|鶴千代(幼名)→賦秀→教秀→氏郷
正室|冬姫(織田信長次女)

蒲生対い鶴

わずか3万石の領主から92万石の大名まで出世した氏郷は、信長が「ただものではない」と恐れるほどの逸材であった。氏郷は家臣を大切にした武将としても知られている。劇的な躍進も家臣との信頼関係があって実現できたといえよう。家臣に褒美をとらせることは日常茶飯事。休日に家臣を屋敷に呼び、食事と風呂でもてなすこともあったという。家臣思いの氏郷のエピソードは枚挙に暇がない。また、氏郷の考えが表れた発言に、「武将は家臣に命令をしているだけではダメで、いざというときは先頭に立って敵陣に突撃するくらいの覚悟が必要だ」というものがある。主君が矢面に立つからこそ家臣もついてくるという考えだ。氏郷はその発言の通り、日頃から一人ひとりへの配慮を欠かさなかったといわれている。

「家臣には情けを深くし、知行を賜るべし」

「知行ばかりを与えても、情けがなければうまく行かない」と続く。伊藤半兵衛に送った手紙の文面。氏郷はさらに、知行と情けは車の両輪であり、鳥の両翼と同じでどちらが欠けてもいけないと説く。

年表

1555 近江蒲生郡日野に生まれる
1568 主家の六角氏が信長によって滅ばされたため、父・賢秀は織田氏に臣従。鶴千代(氏郷)は人質として信長の元へ送られる。北畠具教・具房との戦いを初陣に、多くの武功を上げる
1584 信長の死後、秀吉に臣従。小牧・長久手の戦いに従軍。この頃キリスト教の洗礼を受ける
1590 奥州仕置において伊勢より陸奥会津へ移封
1591 伊達政宗とたびたび衝突しながらも、大崎・葛西一揆や九戸政実の乱を制圧
1592 文禄の役で、肥前名護屋へと出陣
1595 山城伏見の蒲生屋敷において、病死

ゆかりのスポット

会津若松では鶴ヶ城と呼ばれている。氏郷は近世城郭に改造し城下町を整備。町名も「若松」に改名。

若松城
住所|福島県会津若松市追手町1-1
電話番号|0242-27-4005
URL|https://www.tsurugajo.com/

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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