TRADITION

鬼と呼ばれた織田家中の宿老、
柴田勝家
「戦国武将名鑑」

2021.5.9
鬼と呼ばれた織田家中の宿老、<br>柴田勝家<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、鬼と呼ばれた織田家中の宿老、柴田勝家(しばたかついえ)です。

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生没年
1522?~1583年

Place
尾張国(愛知県西部)
Data
由来|柴田氏
改名|権六、勝家、浄勝(号)
正室|お市の方(織田信長の妹)

二ツ雁金

宣教師のルイス・フロイスが「最も勇猛な武将であり果敢な人物」とたたえたほど、勇猛で豪放磊落な性格だった勝家。1552年の萱津(かやづ)の戦いでは30騎を一気に討ち取るなど武勇に秀で、“鬼柴田”と呼ばれた。織田信秀の家臣として子の信勝にも仕え、信勝とその兄・信長の後継者争いにかかわるが、信長に降伏。以後は信長に仕えることとなり、朝倉義景攻めや長篠の戦いにも参戦し武功を立てる。信長の死後は秀吉と対立。1583年、賤ヶ嶽の戦いで秀吉に敗北を喫した勝家は、北ノ庄城の天守に籠城し割腹自殺を遂げる。このとき、最後まで付き添ってきた家臣はもちろん、離反した家臣に対しても感謝の気持ちを述べたとされる。部下には優しかったという勝家の性格が、よく表れているエピソードといえよう。

「夏の夜の夢路はかなきあとの名を雲井にあげよ……」

豊臣秀吉に攻められ、北ノ庄城で自害する直前に詠んだ辞世の句。「夏の夜に死への旅立つことは儚い。死後に私の名を雲の上まで届けてくれ、ホトトギス」という意味。

年表

1522 尾張国愛知郡に生まれたとされている
1551 若い頃から織田信秀の家臣として仕え、織田信勝のときに家老となる
1552 織田信友との萱津(かやづ)の戦いで敵方の家老だった坂井甚介を討ち取る
1556 織田信長との稲生の戦いに敗れ、信長に臣従する
1568 信長にしたがって上洛
1575 長篠の戦いに出陣。北ノ庄城主になる
1580年 加賀一向一揆と制圧し、能登国と越中国にも進出を果たした
1582 信長の自刃後、清洲会議に参加
1583 賤ヶ嶽の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、北ノ庄で自害

ゆかりのスポット

福井市にある神社で、柴田勝家が御祭神として祀られている。勝家とお市の方、子の三姉妹の銅像も。

柴田神社
住所|福井県福井市中央1-21-17
TEL|0776-23-0849
URL|https://sibatajinja.jp

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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