鬼と呼ばれた織田家中の宿老、
柴田勝家
「戦国武将名鑑」
15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、鬼と呼ばれた織田家中の宿老、柴田勝家(しばたかついえ)です。
生没年
1522?~1583年
Place
尾張国(愛知県西部)
Data
由来|柴田氏
改名|権六、勝家、浄勝(号)
正室|お市の方(織田信長の妹)
宣教師のルイス・フロイスが「最も勇猛な武将であり果敢な人物」とたたえたほど、勇猛で豪放磊落な性格だった勝家。1552年の萱津(かやづ)の戦いでは30騎を一気に討ち取るなど武勇に秀で、“鬼柴田”と呼ばれた。織田信秀の家臣として子の信勝にも仕え、信勝とその兄・信長の後継者争いにかかわるが、信長に降伏。以後は信長に仕えることとなり、朝倉義景攻めや長篠の戦いにも参戦し武功を立てる。信長の死後は秀吉と対立。1583年、賤ヶ嶽の戦いで秀吉に敗北を喫した勝家は、北ノ庄城の天守に籠城し割腹自殺を遂げる。このとき、最後まで付き添ってきた家臣はもちろん、離反した家臣に対しても感謝の気持ちを述べたとされる。部下には優しかったという勝家の性格が、よく表れているエピソードといえよう。
「夏の夜の夢路はかなきあとの名を雲井にあげよ……」
豊臣秀吉に攻められ、北ノ庄城で自害する直前に詠んだ辞世の句。「夏の夜に死への旅立つことは儚い。死後に私の名を雲の上まで届けてくれ、ホトトギス」という意味。
年表
1522年 尾張国愛知郡に生まれたとされている
1551年 若い頃から織田信秀の家臣として仕え、織田信勝のときに家老となる
1552年 織田信友との萱津(かやづ)の戦いで敵方の家老だった坂井甚介を討ち取る
1556年 織田信長との稲生の戦いに敗れ、信長に臣従する
1568年 信長にしたがって上洛
1575年 長篠の戦いに出陣。北ノ庄城主になる
1580年 加賀一向一揆と制圧し、能登国と越中国にも進出を果たした
1582年 信長の自刃後、清洲会議に参加
1583年 賤ヶ嶽の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、北ノ庄で自害
ゆかりのスポット
福井市にある神社で、柴田勝家が御祭神として祀られている。勝家とお市の方、子の三姉妹の銅像も。
柴田神社
住所|福井県福井市中央1-21-17
TEL|0776-23-0849
URL|https://sibatajinja.jp
読了ライン
≫次の記事を読む
知っておきたい人気の武将40人「戦国武将名鑑」
・戦国時代の主な出来事
・戦国武将勢力MAP
・北条早雲
・斎藤道三
・毛利元就
・松永久秀
・今川義元
・武田信玄
・山本勘助
・明智光秀
・上杉謙信
・大友宗麟
・立花道雪
・柴田勝家
・小早川隆景
・織田信長
・滝川一益
・竹中重治
・黒田官兵衛
・島津義弘
・佐々成政
・豊臣秀吉
・蜂須賀正勝
・前田利家
・長宗我部元親
・徳川家康
・服部半蔵
・前田慶次
・真田信繁(幸村)
・山中鹿之助(幸盛)
・古田重然(織部)
・山内一豊
・藤堂高虎
・蒲生氏郷
・石田三成
・島左近
・直江兼続
・福島正則
・加藤清正
・森蘭丸
・伊達政宗
・宇喜多秀家
Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」