TRADITION

草履取りから天下人への大出世
豊臣秀吉
「戦国武将名鑑」

2021.5.8
草履取りから天下人への大出世<br>豊臣秀吉<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、草履取りから天下人となった戦国きっての出世頭、豊臣秀吉(とよとみひでよし)です。

生没年
1537?~1598年

Place
尾張国(愛知県西部)
Data
由来|木下氏
改名|木下藤吉郎→秀吉→羽柴秀吉→藤原秀吉→豊臣秀吉
正室|北政所(おね/浅野長勝の養女)
側室|淀殿(浅井長政の娘)ほか

太閣桐

天下統一を成し遂げた戦国武将として、その名を知らない人はいないだろう。信長の草履取りから天下人にまで出世したサクセスストーリーから“戦国一の出世頭”と呼ばれ、信長、家康とともに三英傑の一人に数えられる。風貌が猿のようだったなど秀吉に関する逸話は数多い。また、歌舞伎や能に親しんだほか、千利休に茶道を学ぶなど、文化・芸術には多方面に精通していた。天下統一後、野望は海外へと向けられ、二度の朝鮮出兵を行ったが失敗に終わる。1598年に醍醐寺境内で行われた醍醐の花見の直後から体調を崩し、家臣らに看取られながら没した。現在も“太閤さん”として親しまれており、秀吉の代名詞といえる大坂城は空前の大城郭で、大阪のシンボルとなっている。

「露とおち 露と消えにし わが身かな……」

秀吉の辞世の句。このあと「難波のことも 夢はまた夢」と続く。難波とは大坂城のことで「なにもかも」という言葉をかけている。滴り落ちる露のように一瞬で過ぎ去った、自らの人生を偲んでいる。

年表

1537 尾張国に生まれる(生年に異説あり)
1554 この頃から織田信長に小者として仕える
1568 近江箕作城攻略戦で活躍。信長の上洛に際して京都の政務を任される
1573 長浜城主になる。この頃、羽柴秀吉と改める
1582 備中国に侵攻し、備中高松城を水攻めに追い込む(高松城の水攻め)
1584 小牧・長久手の戦い。従三位・権大納言に叙任・任官
1585 正二位・内大臣に叙位・任官。関白になる。四国攻めを行い、四国を平定
1586 豊臣の氏を賜り、太政大臣に就任。政権を樹立
1590 関東へ遠征し、北条氏政の本拠地である小田原城を包囲(小田原征伐)
1592 明の征服と朝鮮の服属を目指し、宇喜多秀家を総大将とする軍勢を朝鮮半島へ出兵(文禄の役)
1597 小早川秀秋を元帥に軍勢を朝鮮半島に送る
1598 伏見城で病死

ゆかりのスポット

(C)大阪城天守閣

姫路城、熊本城と並ぶ三大名城のひとつ。豊臣政権の本拠地だったが、大坂夏の陣で焼失した。

大阪城
住所|大阪府大阪市中央区大阪城1-1
TEL|06-6941-3044
URL|https://www.osakacastle.net/

 

秀吉の右腕であり夜盗の親玉?蜂須賀正勝

≫この記事を読む

知っておきたい人気の武将40人「戦国武将名鑑」
戦国時代の主な出来事
戦国武将勢力MAP
北条早雲
斎藤道三
毛利元就
松永久秀
今川義元
武田信玄
山本勘助
明智光秀
上杉謙信
大友宗麟
立花道雪
柴田勝家
小早川隆景
織田信長
滝川一益
竹中重治
黒田官兵衛
島津義弘
佐々成政
・>豊臣秀吉
蜂須賀正勝
前田利家
長宗我部元親
徳川家康
服部半蔵
前田慶次
真田信繁(幸村)
山中鹿之助(幸盛)
古田重然(織部)
山内一豊
藤堂高虎
蒲生氏郷
石田三成
島左近
直江兼続
福島正則
加藤清正
森蘭丸
伊達政宗
宇喜多秀家

Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

関連するオススメ記事

関連するエリアのオススメ記事