数々の武勇伝を持つ荒くれ者、
福島正則
「戦国武将名鑑」
15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、数々の武勇伝をもつ豊臣軍随一の猛将、福島正則(ふくしま まさのり)です。
生没年
1561~1624年
Place
尾張国(愛知県西部)
Data
由来|福島氏
改名|市松(幼名)→正則
正室|照雲院(津田長義の娘)
側室|昌泉院(徳川家康の養女、牧野康成の娘)
とにかく乱暴者、荒くれ者のイメージが強い正則は、幼少期から数々の武勇伝をもつ。子どもの頃に大人と喧嘩をしたときは鑿で相手を叩きのめしたことや、無類の大酒呑みで酒癖が悪かったといったエピソードは、正則の性格をよく表しているといえよう。生母は秀吉の叔母だったとされ、秀吉の軍勢の中でみるみる頭角を現した。賤ヶ嶽の戦いで武勲を上げ、“賤ヶ嶽の七本槍”の一人にも数えられ、戦場でもたじろぐことがなかったとされる。ただ、恐妻家としての一面ももち、浮気がばれた際は妻に薙刀で斬りつけられたこともあり、このときばかりはさすがの正則も逃げ回るしかなかったという。領内の社寺の修復を積極的に行う一方で、キリスト教の布教を認めており、宗教には寛容な立場を貫いた。
大の酒好きだった正則に残る逸話
無類の酒豪として知られ、酒にまつわる失敗談は数多い。泥酔した勢いで家臣に切腹を命じてしまい、翌朝になって失言に気がついたものの、後の祭りであった。さすがの正則もこのときばかりは号泣し、ひたすら詫びたといわれている。
年表
1561年 尾張国に生まれる
1578年 羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え、播磨国三木城攻めで初陣を飾る
1582年 山崎の戦いで勝龍寺城を攻撃するなどして軍功を上げる
1583年 賤ヶ嶽の戦いで敵将・拝郷家嘉を討ち取るという大功を立てる
1587年 九州征伐に参加
1592年 文禄の役で朝鮮半島に渡海
1600年 関ヶ原の戦いで東軍に参陣
1619年 台風による水害で破壊された広島城の本丸・二の丸・三の丸・石垣などを無断で修理したことで武家諸法度違反に問われ、減封・転封される
1624年 信濃国で病死
ゆかりのスポット
長野・小布施の寺の裏手にひっそりと佇む正則廟。最期は信濃国高井野藩で亡くなった。
岩松院の正則廟
住所|長野県上高井郡小布施町雁田615
TEL|026-247-5504(受付9~16時)
URL|https://www.gansho-in.or.jp/
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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」