TRADITION

最後まで上杉軍に仕えた、
前田慶次
「戦国武将名鑑」

2021.5.23
最後まで上杉軍に仕えた、<br>前田慶次<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、謎多き傾奇者であり、最後まで上杉軍に仕えた武将、前田慶次(まえだけいじ)です。

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生没年
1533?~1605?年

Place
尾張国(愛知県西部)
Data
由来|滝川氏→前田氏
別名|宗兵衛、慶次郎、慶二郎、啓次郎、慶次、穀蔵院飄戸斎、龍砕軒不便斎
正室|前田安勝の娘

加賀梅鉢

前田慶次といえば“傾奇者”の代表格というイメージが強い。しかし、現在我々が知る慶次のイメージは、隆慶一郎の小説『一夢庵風流記』などによって形成された部分が大きい。出生を含めて謎に包まれた人物で、実父は織田信長の重臣・滝川一益の一族だったとされるが、確証はない。上杉景勝や直江兼続との関係は深く、関ヶ原の戦いの後は上杉軍とともに米沢に移り、1612年に没したとされている(没年については諸説あり)。奇怪な行動が多かったといわれ、特に“大ふへん者”と大書きされた旗を掲げて上杉の陣に参加したエピソードは有名だ。周囲の武士たちが「“大武辺者”とはずいぶん調子に乗っているじゃないか」と言うと、慶次は「そうじゃない、“大不便者”という意味だ!」と説明、人々をからかったという。

「心にまかせぬ事あれば匹夫に同じ出奔せん」

前に「たとえ万戸候たりとも」が入る。一万戸の封地を領有する立場であっても、思い通りにいかないことがあったら身分の下の者となんら変わらないのである。慶次の生き様が感じられる言葉。

年表

1533 尾張国といわれているが、出生については諸説ある
1569 養父の利久の弟である前田利家が尾張国荒子を継いだため、養父とともに荒子城を退去
1581 信長の下で累進した利家は能登国を領する大名になり、慶次は利家に仕える
1582 本能寺の変が起きる。このとき滝川勢の先手となったという
1584 小牧・長久手の戦いでは佐々成政に攻められた末森城の救援に向かう
1590 利家と仲違いし前田家を出奔
1598 上杉家に仕官。新規召し抱え浪人の集団である組外衆筆頭となる
1600 長谷堂城の戦いに出陣。関ヶ原の戦いで西軍敗退により上杉氏が減封され米沢に移されると、それに従い米沢藩に仕える
1605 米沢で病死(一説に大和で病死)

ゆかりのスポット

公益財団法人 名古屋観光コンベンションビューロー

慶次は、名古屋の荒子城で前田家に仕えていた。いまは富士大権現天満宮が建つ。

荒子城跡
住所|愛知県名古屋市中川区荒子4-208
アクセス|あおなみ線荒子駅から徒歩

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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