TRADITION

城造りの名人として名を馳せた、
加藤清正
「戦国武将名鑑」

2021.6.3
城造りの名人として名を馳せた、<br>加藤清正<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、城造りの名人として名を馳せた武士、加藤清正(かとう きよまさ)です。

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生没年
1562~1611年
Place
尾張国(愛知県西部)
Data
由来|加藤氏
改名|夜叉丸(幼名)→虎之助→清正
正室|山崎氏(山崎片家女)
継室|清浄院(徳川家康養女)
側室|本覚院(菊池武宗女)、浄光院(赤星太郎兵衛女)ほか

蛇の目

清正の身長は190㎝と極めて長身で、トレードマークとなっている長烏帽子形兜をかぶるとひと際目立つ存在であった。口の中に拳を入れることができたなど、何かとインパクトのある逸話も多い。元は秀吉に仕えていたが、秀吉の死後は家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍として九州で攻防を繰り広げた。その功績から肥後の領地を与えられる。清正といえば城造りの名人として知られ、家康の依頼で名古屋城の築城にも参加している。とりわけ、熊本城は清正の集大成ともいうべき堅牢さを誇る天下の名城である。江戸時代は戦禍に見舞われることがなかったが、明治維新後の西南戦争で新兵器を駆使した西郷軍の猛攻でも熊本城は落城せず、清正の設計の確かさが実証された。今も熊本では清正の人気は極めて高い。

表には桜を、裏には栗を

清正は、自ら建立した寺院には必ず、表側に桜を、裏側に栗を植えさせた。桜は人々を楽しませるためで、栗は万が一のときの非常食とするためであった。

年表

1562 尾張国に生まれる
1573 近江長浜城主となった羽柴秀吉(豊臣秀吉)に小姓として仕える
1583 賤ヶ嶽の戦いでは敵将・山路正国を討ち取るという武功を上げ、秀吉より3000石の所領を与えられる
1587 九州征伐に従軍。肥後北半国19万5000石を与えられ、熊本城を居城とする
1592 文禄・慶長の役では、朝鮮半島へ出兵
1597 慶長の役に出陣
1600 関ヶ原の戦いでは九州に留まり、黒田官兵衛とともに家康ら東軍に協力。小西行長の宇土城や立花宗茂が率いる柳川城などを開城、調略し、九州の西軍勢力を破る
1611 肥後国の熊本城にて病死

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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