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日本の伝統木造建築は縄文時代がはじまり。
《進化する中高層木造建築》

2023.10.26
日本の伝統木造建築は縄文時代がはじまり。<br><small>《進化する中高層木造建築》</small>

いま木造建築が注目を浴びている。時代の変化に伴い、これまで鉄とコンクリートでつくられていた中高層ビルにも木材が使われはじめている。確実に増えつつある「都市木造」は今後、社会に何をもたらすのか。
 
「なぜ木材を使った中高層建築が可能になったのか」。その背景について、東京大学生産技術研究所で木造建築を中心に研究を行う、腰原幹雄教授に話をうかがった。

腰原幹雄さん
東京大学生産技術研究所・教授。1968年、千葉県生まれ。2001年に東京大学大学院博士課程修了。東京大学大学院助手を経て、2012年より東京大学生産技術研究所教授。木材を用いた建築の可能性を構造の視点から研究し、都市の木造建築の可能性を模索中

中高層木造建築が続々登場!
“都市木造”の可能性

神奈川県・横浜「Port Plus」

世界最古の木造建築・法隆寺をはじめ、日本人は多くの歴史的な建築物を木でつくってきた。そして時代は移り、近代からは鉄骨や鉄筋コンクリートによる建築が主流に。しかし実はいま、木造の中高層ビルの建設が多数計画されていることをご存じだろうか。
 
たとえば20階建ての「東京海上本社ビル」が2024年に着工予定。オーストラリアでも’26年に、地上39階建ての「アトラシアン・セントラル」が完成する。
 
なぜいま、中高層木造建築の建設が進みつつあるのか。東京大学生産技術研究所の腰原幹雄教授はこう語っている。
 
「いまはもう、どこでもどんな建築でも、木造で建てられるようになっています。その背景にあるのは法改正。2000年の建築基準法の改正によって、木造建築が大きく変わりました。それまで耐火性能が低いという理由から、木造で建築できる建物の用途、床面積、高さ、階数は制限されていました。しかしテクノロジーの発達もあり、制限が撤廃されたのです」

どんな大きさの木造建築も建てられる時代に

中高層木造建築のルーツは三内丸山遺跡にあり!? 青森県の三内丸山遺跡は、縄文文化の発掘物。ここに建つ大型掘立柱建物(復元)は果たして、現在の木造建築にどうつながるのか
photo: JOMON ARCHIVES

日本の伝統木造建築は縄文時代にはじまり、木組みの技術を生かして発展。飛鳥時代以降には法隆寺や東大寺など、現存する歴史的建築物が建立された。その後、明治時代に西洋から近代建築、構造力学の概念が導入され、製粉工場や繭倉などの多層木造建築が伝統木造建築の技法とは異なるかたちで、木材を使って建てられた。しかし1919年の「市街地建築物法」、1950年の「建築基準法」により、大型・高層の木造建築物の建設は禁止に。しかし1980年代後半に集成材が登場。平屋の大屋根に限られたが、ドームや吊屋根など、さまざまな大空間の構造形式が木造で試行された。そして1987年の「大断面木造建築の高さ制限緩和」及び2000年の「建築基準法改正」により、木造建築の階数制限が撤廃。これにより、晴れて都市部に木造の中高層ビルを建てることが可能になった。
 
飛鳥時代〜 伝統木造建築
世界最古の木造建築・法隆寺をはじめ、高さ45mを超える東大寺大仏殿、50mを超える五重塔などが建立された。それらの伝統木造建築を支えたのは、継手や仕口などの木組みの技術。根底にあったのは大工の経験則だった
 
1919年 市街地建築物法規定 近代木造建築
西洋の構造力学の概念に倣って、木造建築においても接合部の金物補強などが行われるようになり、4〜5階建ての多層建築も建設された。しかし火災安全性に配慮した結果、1950年より大型・高層の木造建築物は制限された
 
1950年 建築基準法規定
 
1987年 規制緩和 集成材建築
大断面木造建築の高さ制限が緩和。準防火地域の木造3階建の建築が可能に。集成材の開発により、大規模木造建築が再び脚光を浴び、ドームや体育館の吊屋根、トラス、アーチなどに木材が用いられるようになった
 
2000年 建築基準法改正 高層木造建築
木造建築の階数制限が撤廃。木材は鉄とコンクリートと並ぶ建築構造材としての認識も進み、集合住宅やオフィスビルなどの多層、高層の木造建築の都市部での建築が可能に。用途による木材使用の制限もなくなった

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時代とともにアップデートされる建築技術
 
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text: Naruhiko Maeda
Discover Japan 2023年9月号「木と生きる」

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