TRADITION

ザ・下克上の代表的人物、
斎藤道三
「戦国武将名鑑」

2021.4.29
ザ・下克上の代表的人物、<br>斎藤道三<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、ザ・下克上の代表的人物、斎藤道三(さいとうどうさん)です。

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生没年
1494?~1556年

Place
美濃国(岐阜県南部)
Data
由来|斎藤氏
改名|長井規秀→斎藤新九郎利政→道三
正室|明智光秀の叔母・小見の方
側室|深芳野ほか

二頭立波

司馬遼太郎の小説『国盗り物語』の主人公として一躍有名になった道三は、美濃地方を平定した戦国大名。京都の寺院に出家した幼少時代から、油商人を経て戦国大名となった物語は、北条早雲とともに下剋上を成し遂げた代表的な人物といわれる。しかし、一代で成り上がったのではなく、父の長井新左衛門尉との二代にわたるという説もある。1538年、稲葉山城(現在の岐阜城)を拠点に活動を開始。美濃を治めていた土岐頼芸(よりのり)と対立し、頼芸の居城・大桑城を落城させ、尾張へ追放。1547年には織田信秀を籠城戦で破り、1552年には美濃地方を完全に手中に収めたが、1556年、嫡男の義龍と争った長良川の戦いで戦死。63歳だったという。織田信長を早くから評価しており、娘である帰蝶(きちょう)を嫁がせたことでも知られている。

「悪人とは九天に在す諸仏諸菩薩のごとく……」

司馬遼太郎『国盗り物語』に登場する、道三の台詞。“美濃のマムシ”と恐れられ、悪逆非道な英雄として知られる道三ならではの発言。最後に「おれもそういう悪人になりたい」と締めくくっている。

年表

1494 美濃国で生まれたとされているが、生年や生誕地に諸説ある
1527 武芸と才覚で頭角を現し、土岐頼芸の信頼を得る。頼芸が家督相続に破れると、道三は頼芸を美濃国守護に擁立した
1530 長井利安を殺害。長井家を乗っ取る
1538 美濃守護代の斎藤利良が病死後、その名跡を継いで斎藤新九郎利政と名乗る
1547 織田信秀が稲葉山城攻めを仕掛けたが、利政は逆襲して織田軍を壊滅寸前にまで追い込んむ(加納口の戦い)
1552 相羽城主・長屋氏や揖斐城主・揖斐氏らを滅ぼし、さらに揖斐北方城に留まっていた頼芸を尾張国へ追放
1554 家督を息子の義龍に譲る
1556年 長良川の合戦で戦死

ゆかりのスポット

かつて稲葉山城と呼ばれ、斎藤道三の居城であった。織田信長によって攻略され、天下統一の拠点となった。

岐阜城
住所|岐阜市金華山天守閣18
電話番号|058-263-4853
休館日|無休
URL|https://www.city.gifu.lg.jp/3537.htm

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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