第88代「後嵯峨天皇」
|20人の天皇で読み解く日本史
126代目の天皇が誕生した2019年。今も昔も日本の歴史は天皇がつくってきたといっても過言ではありません。天皇に焦点を当ると、これまでとは違う日本の姿が見えてくるはず。今回は、「両統迭立」の時代を生み出した人物、後嵯峨天皇を紹介します。
第88代 後嵯峨天皇(ごさがてんのう)
生没年|1220–1272年
在位|1242(23歳)–1246(27歳)年
父|土御門(つちみかど)天皇
母|源通子(みなもとのつうし)
妻|西園寺姞子(さいおんじきつこ)
後継者を定めず崩御
兄弟間の後継者争いに
承久の乱に携わった後鳥羽上皇、順徳上皇、その直系の仲恭天皇までを処分すると、幕府は高倉天皇の子で、後鳥羽の兄を後堀河天皇として即位させた。これ以降、皇位継承にまで幕府の影響力が及ぶこととなる。
ところが後堀河皇統は2代で断絶。幕府は、土御門上皇の子を後嵯峨天皇として即位させた。
その後、後嵯峨皇統は4歳の息子を後深草天皇として即位させ、譲位してしまう。さらに後深草天皇を譲位させ、弟・亀山天皇を即位。後深草天皇に子がいるにもかかわらず、その後継に亀山天皇の2歳の子を即位させたため、後深草天皇は不満を抱えることとなる。
後嵯峨上皇は、利発だった亀山を好み、亀山の系統を直系としたのである。ところが、御嵯峨上皇が後継者を決定せず幕府に一任して崩御したことから天皇の家系がふたつに分裂。後深草の持明院統と、亀山の大覚寺統のそれぞれの家系から交互に天皇を出す「両統迭立」の時代を迎える。
Point1
大覚寺統と持明院統
交互の即位がシステム化
後嵯峨は後深草に譲位するが、足腰の弱い後深草より、弟の亀山に期待をかけていた。幕府が、亀山を治天の君に定めると、後深草は不満を募らせる。幕府は妥協案として後深草・伏見を天皇として即位させるも、かえって対立を激化させていくことになる。
Point2
亀山殿造営の際に吉野の桜を嵐山に移植
春の観光名所で知られる京嵐山の桜。後嵯峨上皇が亀山殿の造営にあたって吉野の桜を移植したのがはじまり。渡月橋は、後嵯峨の子・亀山天皇が舟遊びの際に、橋を「くまなき月の渡るに似る」と言ったことにちなむ。
〈天皇ゆかりの地〉
後嵯峨上皇が亀山天皇のために
造営した亀山殿の跡地に建つ
「天龍寺」
後嵯峨上皇は小倉山東南の亀山山麓に亀山殿(嵯峨殿)を造営。世界遺産になっている天龍寺は、この亀山殿跡地に建てられた寺院で、後嵯峨天皇の御陵は天龍寺境内にある。子の亀山天皇の追号「亀山院」は、この離宮亀山殿にちなむ。亀山天皇は後嵯峨から伝領し、退位後は仙洞(譲位した天皇の御所)として使用した。
天龍寺
住所|京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
Tel|075-881-1235
www.tenryuji.com
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supervision: Hirofumi Yamamoto text: Akiko Yamamoto, Mimi Murota illustration: Minoru Tanibata
Discover Japan2019年6月号「天皇と元号から日本再入門」