「あらや滔々庵」前田家、魯山人ゆかりの宿で温泉とカニ尽くしを堪能
前田家歴代藩主の命を受け、湯番頭として山代の湯を守ってきた宿、「あらや滔々庵」。その魅力は温泉だけではない。冬の味覚の王者・カニ尽くしが愉しめるのだ。
“代々創業”の意気込み
京都にある老舗呉服商の当代主人から聞いた言葉だ。
老舗というものは、ただ継承するだけだと、必ず衰退の一途をたどるもので、代々の主人は自分の代で、新たに創業するくらいの意気込みをもたなければいけない。大まかにはそういう意味だった。
その言葉に触れて以来、老舗を訪ねるたびに、現当主にその意気込みがあるかどうかを、見抜くようになった。
加賀温泉郷にある山代温泉の老舗宿「あらや」は、まさしくその“代々創業”を実践している。近年になって整備が進んだ“湯の”を見守るように建つ宿は、現当主で18代を数える。
加賀百万石前田家の、歴代藩主御用達の湯宿として、長い歴史を数えてきた宿は、訪れるたびに何かしら変化を見せてくれる。
それは客室の一部や、館内の一角だったり、料理のうつわ遣いだったりするのだが、うっかりすると見過ごしてしまいそうに、決して大仰なものではない。そこに老舗の底力を見るのである。リニューアルオープンといった派手なものではなく、こつこつと手を入れ、創意工夫を重ねることで、さらなる快適、さらなる上質を創り上げ、“代々創業”を実践しているのだ。
何度訪れても心浮き立つ宿
控えめな入り口から玄関をくぐり、一歩館内へ足を踏み入れると、そこには老舗ならではの静謐な空気が漂っていて、思わず背筋が伸びるものの、靴を脱いで上がり込むと、一転してたおやかな空気に包まれ、ほっこりと心が丸くなる。
廊下はもちろん、エレベーターの中までが畳敷きで、スリッパ要らずの床がうれしい。
はじめての宿は心浮き立つものだが、この宿のように、来るたびに新しさが加わっていると、同じような胸の弾みを覚える。
何度も泊っている“若菜”の間だが、今回は風呂が新しくなっていた。半露天になった風呂には、ふたつの湯舟が並び、棚田のような段差が付いている。上段の湯は下段の浴槽に流れ込むつくりになっていて、下は浅い寝湯を愉しめるという趣向だ。常にお客の愉しみを追求する、当代の主人が編み出した仕掛けなのだろう。
霊峰白山へ向かおうとした行基が、紫雲に導かれ、が傷を癒していたのを見て、発見したと伝わる山代の湯は約1300年もの長い歴史を誇る。
その湯に寄り添いながら、長い代にわたって宿を続けてきたあらや滔々庵には、開湯以来変わることなく、途絶えることなく、湯があふれ出ている。それはまさに、滔々という言葉にふさわしく、いまもお客の肌にまとわり、心身を癒し続けている。
変わるもの。変わらないもの。両者のバランスを、巧妙に保ち続けている宿の居心地は、すこぶるいい。
食通たちをとりこにする美味の数々
加えてこの宿には美味が集まってくる。海の幸、山の幸、いずれ劣らぬ美食の材が、熟達の料理人たちの手によって、加賀百万石の絢爛たる料理になる。
とりわけ、冬の厳しい荒波にもまれた日本海の幸は、ここでしか味わえない美味として、食通たちをとりこにしてきた。
かの美食家、北大路魯山人もその一人。幾度となくこの宿に滞在し、美食を欲しいままにしつつ、書画工芸に卓越した技を発揮した。
その証しとも呼ぶべき作品が、多く宿に残り、それらもまた眼福として、お客の目を愉しませる。
部屋の風呂もいいが、こういう宿に来たらやはり大きな風呂で、存分に手足を伸ばしたい。朝夕に入れ替わるふたつの風呂と、瞑想にふける烏湯。温泉とはかくも心を伸びやかにしてくれるものなのか。誰もがきっとそう思う。
そして新設された食事処で、誰にも邪魔されることなく、思う存分、地のカニを堪能する。
その後は離れのバーラウンジで食後酒を愉しむもよし。部屋に戻って寝湯に身体を休めるもよし。
“代々創業”の精神で長年かかってつくり上げてきた老舗宿は、いぶし銀のような輝きを見せ、真綿のようなやさしさで、お客の心をふわりと包み込む。これをして、逸宿の鑑と呼ぶ。
住所:石川県加賀市山代温泉18-119
Tel:0761-77-0010
Fax:0761-77-0008
客室数:18室(和室9室、半露天風呂付き客室9室)
料金:1泊2食付3万3000円〜(サ込税別)
カード:AMEX、DINERS、DC、JCB、UC、VISA
チェックイン:14:00
チェックアウト:11:00
夕食:懐石料理(個室食事処または部屋)
朝食:和食(個室食事処または部屋)
アクセス:車/北陸自動車道加賀ICから約15分 電車/ JR加賀温泉駅から車で約10分(送迎あり)
施設:大浴場、バー、茶室ギャラリー、食事処、売店
インターネット:無線LAN
www.araya-totoan.com
文=柏井 壽 写真=宮地 工
2018年 Discover Japan Travel「一度は泊まりたい ニッポンの一流ホテル&名旅館」より