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オーガニック農家が雲仙でつくる野菜
長崎県雲仙から広がる美味しいオーガニックの輪

2022.4.10
オーガニック農家が雲仙でつくる野菜<br><small>長崎県雲仙から広がる美味しいオーガニックの輪</small>

長崎・雲仙には40年にわたり、種をつないで在来種を守ってきた農業者がいる。野菜の花が咲く彼の畑と、生命力あふれる野菜に惹かれた人たちが雲仙にやってきた。オーガニック野菜の直売所ができ、野菜が主役のレストランがオープン。いま、その小さな畑を中心に、確かなオーガニックの輪が広がっている。

今回は、種採りを「種をあやす」と言う岩崎政利さんが、日本各地で消えつつある在来種野菜の種を、雲仙の地で継いできた。その畑に多くの人が引き寄せられている魅力に迫る。

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輪の中心には
種をあやす農家がいます

種を採るために選ばれ、植え替えられた雲仙赤紫大根。赤みを帯びた花のなんと力強いことか

今回の取材で、奥津さんに案内いただき岩崎さんの畑に訪れたのは3月中旬のこと。海沿いから棚田や段々畑を横目に山のほうに向かうと、気持ちのいい畑が見えてきた。岩崎さんの畑は10カ所ほどに分散している。種の交雑を避けるためだ。そのうちのひとつでちょうど大根の花が咲いていた。花をつまんで食べてみたら「大根です!」とものすごく主張していた。

40年にわたり、農薬も肥料も使わず、自家採種を行う農業を実践している岩崎政利さん。「雲仙たねの学校」では在来種野菜の種を守り継ぐ大切さを伝えている

奥津さんも岩崎さんに引き寄せられた一人だ。きっかけは2013年。東京・吉祥寺で日本の在来種野菜に焦点を当てたイベント「種市」を行う際に、岩崎さんを招いて話を聞き、感銘を受けた。「一農家が40年にわたり、これだけ多くの野菜の種を守り継ぐ。岩崎さんのような農業をする人は、おそらく世界中探してもいないでしょう。メディアに出て有名になることを望まず、ひたすら野菜の面倒を見る。その言葉は深く、農業者でありながら哲学者です」。その数カ月後の5月はじめに家族で岩崎さんの畑を見に来たら、一面、黒田五寸人参の花が咲いていた。「白いニンジンの花の、甘い匂いに誘われた虫の羽音が響き渡っている。そんな畑は見たことがありませんでした」

この景色を守りたい。

家族で雲仙に引っ越してきた。「在来種野菜の遺伝資源を守るならシードバンクでいいかもしれないけれど、僕が残したいのはこの景色なのです。野菜の花が咲いて、みんなで種を採って、子どもたちが走り回って」。いま、この畑では雲仙赤紫大根が花を咲かせている。大根は花に養分を送ってだんだんとしなび、やがて枯れていく。次世代の種をサヤで支えながら。岩崎さんはその姿が、植物の一生の中で一番美しいと言う。

カブも黄色い花を咲かせていた。市販の種から育てられた野菜も花を咲かせるが、岩崎さんの畑の野菜はエネルギーがぜんぜん違う

岩崎さんの印象では、野菜が大きく変わったのは1970年代だそうだ。F1と呼ばれる交配種の野菜が続々と登場してから、それまで当たり前に行われていた有機栽培も種採りも、いつの間にか姿を消した。流通の都合でかたちが揃い日持ちするよう品種改良された種、化学肥料、農薬をセットにしたビッグビジネスが、日本だけでなく世界の畑を変えてしまった。F1の種は流通目線で優秀な遺伝子を継ぐが、その性質は1代限り。だから農家は毎年種を買うことになる。無農薬や有機栽培という言葉が聞かれるようになったものの、岩崎さんのように自家採種を中心にしている野菜農家はほとんどいないという。先日スーパーで、1つのポットに3種類の葉野菜を植え付け、水耕栽培されたオーガニックのサラダセットを目にして戸惑った。一年中店頭に並ぶそれは工業製品のようで、岩崎さんの野菜の対極にある。

岩崎さんが自家採種した在来種野菜の種。畑の脇に小屋があり、夏はそこに大勢集まって、20種類ほどの野菜の種採りをする。ここには昔から変わらない種採りの風景がある

オーガニックという言葉が一人歩きしていると奥津さんは言う。聞こえがいいから、高値をつけられるからと、スタイルから入る農家もいるだろう。岩崎さんがほかの農家と決定的に違うのは、野菜の花が咲く畑を維持しているということだ。

個性が強いのが在来種の魅力。岩崎さんはその欠点を抑え、よいところを伸ばしながら、「種をあやす」と言って、まるで子どものように育てる。黒田五寸人参や雲仙こぶ高菜といった長崎の伝統野菜だけではなく、日本各地から在来種の種が岩崎さんの元に集まり、いま50〜80種ほど。正確には数えきれないぐらいだそう。岩津ねぎは兵庫の在来種だが、岩崎さんの畑で種が継がれ、みんなは「岩崎ネギ」と呼ぶ。種が採れるのは年に一度だけ。だから何年もかけて少しずつ雲仙の土地に馴染み、肥料に頼らず、土の養分で育つ強い生命力を備えていく。

岩崎さんは奥さんと二人だけで種を継ぐ農業を続けてきた。そこに奥津さんが現れたり、志を同じくする若手農家が、岩崎さんの下で育っている。

島原半島には、
ほかにもすてきな農家が

原川さんは、島原半島のほかの農家とも交流を広げている。その一人が南島原市に畑を持つ本田弘子さん(写真の左)。農薬も肥料も与えずにイチゴを栽培するのは難しく、手間暇がかかるというが、本田さんのイチゴ畑では、1989年に植えたという苗が株を増やし、自然の力で元気に育っている。

 

農家と消費者をつなぐ店「タネト」
 
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text: Yukie Masumoto photo: Azusa Shigenobu
Discover Japan 2021年5月号「美味しいニッポントラベル」

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