《伝教大師最澄1200年大遠忌記念》
伝教大師最澄の教えに見る
“サステナブル”の志
仏教の宗派のルーツをたぐれば、不思議と比叡山にたどり着く。宗派や教義の垣根を越えて、知的に開かれた修行道場を構築し、人づくりに邁進した伝教大師最澄。日本仏教における多くのカリスマを輩出するに至った背景を探ります。
「生きとし生けるものすべてが等しく仏になれる」と説いた法華一乗の教えの下、人づくりに邁進した伝教大師最澄。彼が開いた天台宗から日本仏教界に燦然と輝くカリスマたちが次々と巣立っていった。
「たとえば鎌倉時代に一宗一派を開いた法然上人や親鸞聖人、禅の道に進んだ栄西禅師や道元禅師、法華経を広めた日蓮聖人などがおられます。また、江戸時代では徳川家光公にお仕えした天海大僧正がそうですね。中でも天海大僧正は、東京・上野に延暦寺をそのまま模した寛永寺を建立された。とりわけ比叡山への想いは強かったのかもしれません」と星野さん。
このような経緯から比叡山は“日本仏教の母山”という異名をもっている。だが、考えてもみてほしい。なぜこれほどまでに多くのカリスマを輩出するに至ったのかを。おのおののポテンシャルの高さだけの問題ではないだろう。そもそもすでに次世代のリーダーを育てるインフラがあったのではないだろうか。
「比叡山では根本経典の法華経を筆頭に、密教・座禅・戒律・念仏といったまったく異なる5つの教学を総合的に学びます。それぞれに得意分野を見つけて、掘り下げる人はさらに掘り下げる。天台宗が“仏教の総合大学”といわれるゆえんです」
驚くべきことに1200年以上も前から多様性を実現していたのだ。宗派や教義の垣根を越えて、知的に開かれた修行道場をここに構築していたのだ。もちろんそれだけではない。人里離れた山奥の環境も人づくりには最適だった。
「伝教大師最澄さまは『依身より依所』というお言葉を残しています。要は、自分自身が頑張ることも大切だが、まずは修行に専念できる環境を整えること。夜には獣の声しか届かない大自然の中。これほど修行に集中できる環境はありません」
山での暮らしは毎日の食事や清掃までもが修行の一環と呼ばれるもの。最澄に食事を献ずる籠山行の僧の下では、泥だらけの根菜の皮すらむかない“もったいない精神”の精進料理をたたき込まれるという。
質の高い教育を施し、思想や宗派の多様性を実現し、限りある資源を守る。いわば平安時代からサステイナブルな社会をつくるSDGsを実践してきたといっても過言ではない。
釈迦の十大弟子の一人、阿難尊者。並外れた記憶力ですべての説法を暗唱し、釈迦の入滅後、口伝の説法を経典としてまとめ上げた。法華経を後世に伝えたキーマンの一人といえる。大講堂を訪れた際はぜひ見てほしい
text: Junko Nakao photo: Mariko Taya
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