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北海道を豊かにした魚・ニシン。
絶滅寸前から復活した理由とは?〈前編〉
北海道の魚を知る旅

2022.1.24
北海道を豊かにした魚・ニシン。<br>絶滅寸前から復活した理由とは?〈前編〉<br><small>北海道の魚を知る旅</small>

「春告魚」と呼ばれるニシンは、江戸時代から北海道に春を呼ぶ風物詩。特に明治から昭和初期にかけて、網元は日本海側で大量に水揚げされたニシンを北前船で関西に運び、巨大な富を得た。「北海道の魚を知る旅」まずは、北海道の歴史に欠かせないニシンを味わいに小樽市へ。

北海道ニシンの年表

江戸時代
北海道で本格的なニシン漁はじまる

1897(明治30)年
ニシンの漁獲量過去最高を記録する。明治末から大正にかけて、ニシン漁全盛期に。ニシン景気で得た富で各地に「鰊御殿」が建つ

1954(昭和29)年
ニシンの群来、余市町から小樽市にかけての沿岸で確認されて以降、見られなくなる

1957(昭和32)年
ニシン漁途絶える

1996(平成8)年
北海道主導でニシンの産卵場所の形成、放流後の資源管理を行う「日本海ニシン資源増大プロジェクト」はじまる

1999(平成11)年
3月18日、留萌市礼受の海岸で45年ぶりに群来が確認される

2009(平成21)年
この年以降、毎年2月中旬〜下旬にかけて、石狩湾の数カ所で群来が見られるように

写真=小樽市総合博物館
昭和初期頃のニシン漁の様子。ニシンの群れが海岸に押し寄せる春先、季節労働者の漁夫が数多く集まり、網元の番屋に寝泊まりしながらニシン漁を行った
北海道で水揚げされたニシンは、江戸時代の中頃から明治30年代にかけて、商品を売り買いしながら日本海や瀬戸内海を往来していた「北前船」によって京都や大阪に運ばれた
親方は、ニシン漁で得た収益で「鰊御殿」と呼ばれる番屋や豪邸を建てた。北海道有形文化財の「小樽市鰊御殿」には、親方の衣類や持ち物が展示されている

ニシンの群来(くき)がまた戻ってきた!

江戸期から明治、大正、昭和と、北海道の人々に富をもたらしたニシン。小樽市の「青塚食堂」では、1月初旬から2月にかけて地元産のニシン料理を提供する

北海道の「ニシン」といえば、漁のときに歌った「ソーラン節」や、贅沢な意匠を凝らした「鰊御殿(にしんごてん)」、100人もの漁夫が寝泊まりした「鰊番屋」などの文化を生んだ魚として知られる。

明治・大正期の水揚げ最盛期には、「(網を)ひと起こし千両万両」と呼ばれるくらいに、現代に換算して、春先の漁期3カ月だけで約1億円もの利益を生んだニシン漁。しかし、昭和の初期から漁獲量が減り続け、1950年代以降はほとんど捕れなくなり、資源が枯渇してしまったのでは、という見方が「常識」だった。

近年、このニシンの水揚げ量が石狩市や小樽市、余市町、積丹半島など北海道西部の日本海沿岸で、じわじわと上がっているというのだ。

 


50年ぶりに群来が戻ってきた理由とは?
 
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text: Tomoko Honma photo: Yoshihito Ozawa
2022年2月号「美味しい魚の基本」

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