ARTS & CRAFTS

現代美術家・杉本博司さんに聞いた、なぜいま「江之浦測候所」なのか

2019.10.12
<b>現代美術家・杉本博司さんに聞いた、なぜいま「江之浦測候所」なのか</b>
重さ23tの石橋の先にある石舞台は、本格的な能舞台の寸法を基本として設計している。杉本さんはこの前に佇み、何時間も過ごすことがあるという

現代美術家の杉本博司さんが手掛けた、人と自然、そして日本文化を融合する超大作「江之浦測候所」。なぜ莫大な私財を投じてまで製作したのか。彼が「江之浦測候所」に込めた想いを聞いた。

杉本博司(すぎもと・ひろし)
1948年、東京都生まれ。’74年にニューヨークに移り、翌年から写真家として活動を開始。代表作に『海景』、『劇場』など。2008年建築設計事務所「新素材研究所」を設立。2009年小田原文化財団設立。2009年世界文化賞、2010年秋の紫綬褒章を受章。’13年フランス芸術文化勲章オフィシエを受勲している

『海景』、『劇場』といった作品に代表されるように、杉本博司さんはこれまで写真というメディアを通じて、人為を超え過ぎ行く悠久の時間を見つめ続けてきた。なぜ莫大な私財を投じて、大海と向き合う「江之浦測候所」をつくる必要があったのだろうか。

「社会が進化し、世の中がどんどん便利になっていく一方で、人間はむしろ退化していっているんじゃないかと思うことがあるんです。忙しい日々の中で、自分と向き合う余裕もないまま時間だけがどんどん過ぎ去っていく。しかしながら、どうやったとしても人間の生命には限りがあるもの。古代の人々のほうが、現代人よりももっと生きる価値を敏感にとらえていたのではないでしょうか」。

根底にあるのは、写真の世界
1970年代に発表した『ジオラマ』シリーズ以来、『海景』、『劇場』、『陰翳礼讃』など、コンスタントに写真作品を発表。多大な功績を残した写真家に贈られるハッセルブラッド国際写真賞を2001年に受賞している
杉本博司『海景』Sea of Japan, Oki 1987 ゼラチン・シルバー・プリント
©Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

古代人は、自然の脅威と対峙しながら生命をつなぎつつ、自分を律することで宇宙との一体化を目指し、巨大な神殿を築いて死後の世界を神聖化した。古代人が思い描いた生命のビジョンを自身の思想をからめながら再現し、現代人が改めて感性を育み、人生の意味を考える場所をつくりたい。そんな思いがこの場所には込められている。

古代遺跡のような造形美
幾何学的に石を組み合わせた「円形石舞台」。その先の暗闇は、冬至の朝日を眺める隧道(すいどう)

杉本さんの古代人に対する意識、そして小田原という場所には、幼少期の記憶が深く関係している。

「子ども時代に見た、旧東海道を走る湘南電車から見た海の景色が鮮烈に私の脳裏に焼き付いています。熱海から小田原へと向かう列車が、眼鏡トンネルを抜けた瞬間、眼下に広がる大海原。その風景を前に、昔の人は自分と同じ情景を見ながら何を考えていたんだろうとぼんやり思ったのです」。

2002年ベネッセアートサイト直島 「家プロジェクト」 のために、「護王神社」 を再建
『護王神社-アプロプリエイト・プロポーション』
©Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Benesse Art Site Naoshima and Gallery Koyanagi

1948年、東京に生まれた杉本さんは、戦後の復興とともに目まぐるしく変わる都市の姿を心に留めてきた。

「20世紀から21世紀にかけて、特に戦後の産業振興は、人類の歴史を振り返っても特異な現象だと言ってよいでしょう。経済成長の中で、より安定した豊かな生活を求める一方で、自然から多くを収奪してきたことに気づかなくなってしまった。こうした人間の行動&思考パターンが、現代の闇をつくり出している」。

「IZU PHOTO MUSEUM」 の内装設計を依頼されたことが端緒となり、’08年に建築家の榊田倫之さんとともに設計事務所、新素材研究所を設立
『IZU PHOTO MUSEUM』
©Hiroshi Sugimoto / Courtesy of IZU PHOTO MUSEUM

温暖化をはじめ、地球上で起こるすべての環境問題は、こうした人間の欲望によって生まれたもの。さらに深刻化し、近代以降に築いてきた文化がに帰すような状況に陥ったとき、何が残るのだろうと語る。

「紀元前に創建されたギリシャのアクロポリスやエジプトのピラミッドを見て、現代に生きる私たちがさまざまに思いを馳せるように、いま私たちがつくるものが、この先の時代に生きる人々の思いへとつながる。ならば廃墟になっても美しく、人の心を打つものを創造するミッションが私たちには託されている」。

冬至日の到来とともに、オレンジ色の光を放ちながら、ゆっくりと太陽は顔をのぞかせる。遠い日からまったく姿を変えないその光の中に、人は何を見出してきたのだろう
光学硝子舞台©小田原文化財団/Odawara Art Foundation

何千年もの時を超える石づくりの建物を新たに建設したのは、未来に託した杉本さんなりのメッセージといえる。

自分だけの時間が過ごせるように完全予約&定員制にした江之浦測候所。この地を訪れる人々に対し、杉本さんはどんなことを期待するのだろう。

さらに進化する日本の伝統芸能
日本の古美術や伝統芸能にも造詣の深い杉本さんは、浄瑠璃や能の構成や演出、舞台美術なども近年積極的に手掛けている。独自の感性で日本古来の芸術を、現代そして、世界に通じるものへと昇華させていく
『利休―江之浦』©小田原文化財団/Odawara Art Foundation

「人も建物も密集した都会に住んでいると、広々とした場所で目的をもたず過ごす機会はほとんどないでしょう。ここは、あえて何もやることがない場所です。それでも、自分が好きな場所に腰を下ろし、空にトンビが舞うのを眺め、虫の声や波の音に耳を傾けていると、普段はなにも気に留めていなかった自然のディテールにすっと入り込むことができる。鈍っていた感覚を研ぎ澄まし、大きな生命体の中で自分もともに生きているんだという実感を味わう。環境の微細な変化を全身で感じ取ることで、人が人であり、この世に存在している理由がおのずと見えてくるはずです」。

小田原文化財団 江之浦測候所
構想:杉本博司
基本設計・デザイン監修:新素材研究所/杉本博司・榊田倫之・磯崎洋才住所:神奈川県小田原市江之浦362-1
Tel:0465-42-9170
開館日:木~火曜
休館日:水曜
入館方法:完全予約・入替制
見学時間:4~10月、1日3回/10時・13時・16時(約2時間・定員制)11~3月、1日2回/10時・13時(約2時間・定員制)
入館料:3000円(税別)
※中学生未満来館不可

文=猪飼尚司 写真=板野賢治
2017年11月号 特集「この秋、船旅?列車旅?」

・現代美術家・杉本博司さんが手掛けた日本文化を身体全体で感じる場「江之浦測候所」
・現代美術家・杉本博司さんに聞いた、なぜいま「江之浦測候所」なのか