2名の賢者が語る、小松美羽の魅力。
飛鷹全法(高野山高祖院住職)
「その横顔は、崇高で、荘厳で、そして美しかった」
小松さんは、魂から見れば、人間の間に差別はなく、それどころか、生きとし生けるものすべてが平等なのだ、と言う。その気づきへの遍歴が、著書『世界のなかで自分の役割を見つけること』には随所に語られているのだが、読みながら、空海弘法大師の言葉が何度も脳裏を去来した。「六大の遍くところ、五智の含むところ、排虚・沈地・流水・遊林、惣てこれ我が四恩なり。」空を飛ぶ鳥、地中に這う虫、水に泳ぐ魚、林をさまよう獣……この大宇宙において、生きとし生けるものすべてが、私たちを支える存在なのだ、と。この宇宙を成り立たせている根源的な存在との合一感を、密教では「入我我入」と言うが、すべての存在が、小松さんの言う魂をも包摂した「いのち」において繋がっていることが了解されれば、もはや地球を守れ、などという言い方は意味をなさない。私が鳥であり、虫であり、そして地球なのだ。
そうだとすれば、祈るとは、この「いのち」における絶対的平等性のうちに、自身を投げ込むことに他ならない。「私の魂が放つ熱が、世界と宇宙に存在する無数の命が放つ熱と溶け合うように、強く念じる。」私は、こうした小松さんの言葉に揺るぎない覚悟と真実を感じずにはおれない。
弘法大師は、先の一節にこう言葉を続けている。すべての生きとし生けるものよ、一緒に覚りの世界に入ろうではないか(「同じく共に一覚に入らん」)。弘法大師がこの言葉を書き記したのは832(天長9)年。およそ1200年前に、すでにこのような地球全体を包摂するような思想を胚胎していたことは驚くべきことだが、小松さんが掲げた“INORI FOR OUR PLANET”は、正しく、この弘法大師の言葉と共鳴し合っている。
小松さんは、アートは生命が魂でつながるための道具だ、と言う。本来、すべての存在が、いのちにおいてつながっていることが看取されれば、自分以外の存在も、自分と同様に愛おしいはずである。この他者に対する絶対的な共感、慈しみの感情を仏教では「大悲」というが、小松さんの作品が多くの人を惹きつけるのは、この「大悲」ゆえではないかと感じる。作品に表れた神獣たちの大きく見開かれた眼の向こうには、すべてを許し、抱擁してくれる「大悲」の眼差しが宿っている。
一時期、そのルックスから「美しすぎる」とメディアで形容され、本人も戸惑ったこともあったそうだが、さる会報誌のためのインタビューで、小松さんはこう答えている。「美しさとは、純粋であり、無邪気であり、祈る行為であり、深い瞑想の果てに行き着く境地と真実です」。私は胸を突かれるような感動を覚えて、涙がこぼれそうになった。こんな言葉を紡ぐことができる人間は、宗教者でもほとんどいないように思う。そして、なぜか僧侶となるための修行に、ひたすらに打ち込んだ日々が思い出された。それは、苦しく苛烈だが、しかし透明で美しいときであった。そう、美は真の母かもしれないのだ。ライブペインティングに臨む小松さんの姿は、まるで人類のために、いや、すべての生きとし生けるもののために、闘っているようであった。闘うという表現が当たらないのはわかっている。だが、本当の祈りとは、全霊を賭した、かくも崇高な一大行為なのだ。その横顔の、なんという荘厳な美しさだろう。私は思わず、手を合わせた。
飛鷹全法(ひだか・ぜんぼう)さん
東京大学法学部卒。IT ベンチャー参画を経て、経済産業省ラグジュアリートラベル検討委員、高野山大学企画課長等を歴任。現在、高野山高祖院住職、高野山別格本山三宝院副住職
小松美羽の「大和力」に影響を与えた恩人たち
1|塩原将志(アート・オフィス・シオバラ代表)第1章/第2章/第3章
2|齋藤峰明(シーナリーインターナショナル代表)
3|Luca Gentile Canal Marcante(アートコレクター/起業家)
4|JJ Lin(シンガーソングライター)
5|手島佑郎 Jacob Y Teshima(ヘブライ文学博士)
6|加藤洋平(知性発達学者)
7|飛鷹全法(高野山高祖院住職)
小松美羽さんが裏表紙を飾るDiscover Japan10月号もチェック!
Discover Japan10月号では、巻頭特集で小松美羽さんを特集しています。
宗教や伝統工芸など、日本の文化と現代アートを融合させ、力強い表現力で、神獣をテーマとした作品を発表してきた現代アーティスト・小松美羽さんの、すべてが本書に詰まっています。
text=Zenbo Hidaka photo=提供
2020年10月号「新しい日本の旅スタイルはじまる。/特別企画 小松美羽」