「ロート製薬」誰もやらないことへの挑戦
はじまりの奈良
初代神武天皇が宮を造られ、日本建国の地とされている奈良県。連載《はじまりの奈良》では、日本のはじまりとも言える奈良にゆかりのものや日本文化について、その専門家に話を聞いていきます。今回は奈良県出身の山田安民氏が創業した「ロート製薬」、その歴史と新たな挑戦を生み続ける企業文化について伺いました。
目薬「V・ロート」、複合胃腸薬「パンシロン」、外皮薬「メンソレータム軟膏」、「肌ラボ 極潤」シリーズをはじめとしたスキンケア商品。これらに馴染みがある人は多いのではないだろうか。実は、すべて「ロート製薬」が製造・販売している商品だ。
同社は大阪府大阪市に拠点をもっているが、創業者の山田安民氏が誕生したのは奈良県宇陀市。同市には生家がいまも残されている。1899(明治32)年に大阪で前身となる「信天堂山田安民薬房」を創業し、胃腸薬「胃活」を発売したのが「ロート製薬」のはじまりだ。
創業から10年後、当時の眼科医界の権威だった井上豊太郎博士が処方した点眼薬「ロート目薬」を発売したところ、日露戦争の終結後に眼の感染症が流行していたため、大ヒット商品になった。当時では珍しいカタカナの商品名は、井上博士の恩師であるロート・ムンド博士から取り、これが後の社名になる。
事業のかたわら、山田氏は奈良市にある春日大社の敷地の一角だった土地を購入し、1928(昭和3)年に私邸「棲霞園」を完成させ、時代を動かした重鎮たちを招いた。さらに、奈良県に最初の盲学校を創設して校長を務め、来日したヘレン・ケラーはこの「棲霞園」を訪ねている。
1931(昭和6)年、山田氏は目薬業界に革命を起こす。日本初となる一体型の容器「滴下式両口点眼瓶」に入った点眼薬「ロート目薬」を発売したのだ。それまでの容器は目薬瓶と点眼器が別々だったのに対し、上部のゴムキャップを押すと下の穴から目薬が一滴出る画期的な設計だった。
そして1949(昭和24)年、2代目が現在の社名である「ロート製薬」を設立し、この後も新しいことへの挑戦を重ねながら、同社は成長していく。たとえば、1952(昭和27)年には新目薬「ロートぺニマイ目薬」の発売を機にラジオCMを採用。さらに日本初となるお客向けのアンケートはがきの封入も取り入れ、近代のマーケティングの走りとなるビジネスを実施した。
また、「子どもV・ロート」でははじめての漫画イラスト入りのパッケージ、「ロートジー」ではスリムなスクエアボトルを採用したり、「ロートCキューブ」シリーズではコンタクトレンズケア剤をドラッグストアで発売したりと、「誰もがやらないことを、やる」精神で、挑戦を続けてきた。
再生医療分野のほか、食や農にまつわる事業もスタートした。2013(平成25)年、なんと「薬に頼らない製薬会社」を目指し、アグリファーム事業部を設置したのだ。農産物の生産や加工、「Next Commons Lab奥大和」という起業家をサポートするプラットフォーム事業などに取り組んでいる。同事業部の安西紗耶さんは「企業の堅いイメージにしなやかさを追加していきたい」と話す。
そのひとつが、同社の子会社で奈良県宇陀市に拠点をもつ「農業法人はじまり屋」。葉物野菜などを育て、2019年8月には有機JAS認定を取得して、販売をはじめた。代表の笹野正広さんは「地域貢献や人材育成といった流れを生み出していきたい」と話す。
創業からの「誰もがやらないことを、やる」というDNA。いまも「NEVER SAY NEVER」というコーポレートスローガンになって受け継がれている。きっとまた、新たな挑戦が生まれるのだろう。
cooperation : Masayuki Miura text : Yoshino Kokubo photo : Rohto Group
2019年12月号 特集「人生を変えるモノ選び。」