《聖徳太子のふるさと奈良・明日香村へ》
日本最古の仏教寺院「飛鳥寺」
聖徳太子1400年遠忌の今年、特別展「聖徳太子と法隆寺」が奈良国立博物館から東京国立博物館へ巡回し、この秋からも各地でさまざまな催しが開催予定。話題沸騰の特別展を通して聖徳太子を身近に感じたなら、次は聖徳太子のふるさと・明日香村を訪ねてみるのもおすすめ。日本人なら誰もが懐かしいと感じる風景と、いまの時代の支えになる教えに出合えるはずです。聖徳太子ゆかりの地と明日香村の魅力を紹介します。
飛鳥寺
聖徳太子とともに推古天皇の政務を支えた蘇我馬子の発願により、596年に創建。当時は20倍の面積があり、法隆寺をしのぐ巨大寺院であったが、鎌倉時代に伽藍の大半を焼失。現在は江戸時代に再建された建物が中心で、いまの本堂はかつての中金堂の位置にあたる。「飛鳥大仏」の名で親しまれる本尊は、渡来系の名工・鞍作止利による造立で、顔と右手の大部分は造立当時のものといわれる。その顔立ちに大陸の影響が色濃く反映されている。
奈良盆地の東南端に位置する明日香村。ここは、西暦592年から平城京遷都までの100余年もの間、天皇の宮が置かれ、日本の国としての礎を次々と築いていった土地だ。実際にめぐってみることで、その黎明期の立役者となった聖徳太子の息遣い、足跡を感じてみたい。
飛鳥駅に降り立つと、水田や木々のまばゆい緑が目に飛び込んでくる。高い建物がないからか、空が大きく、山の稜線もくっきりと見える。空気も澄んでいて、心が自然とほどけていくようだ。
甘樫丘に登った足で向かったのは飛鳥寺。596年、飛鳥を本拠地とした豪族で、太子の大おじである蘇我馬子が創建した日本初の本格寺院だ。いまはわずかな寺域が残るのみだが、創建時は3つの金堂が塔を囲む大伽藍を誇っていたとか。いわば、最新の大陸の思想が学べる一大仏教センター。若き太子も胸を熱くしたことだろう。
本堂で、現存最古という飛鳥大仏に手を合わせた。その表情は、厳しくもどこか温かい。「御本尊が造立されたのは609年。以来1400年間、この場所から動いていないことが調査で判明しています」と住職の植島寶照さん。「馬子も太子も皆、同じ場所で祈ってきたのです。当時は天然痘などの疫病に苦しんだ時代で、太子の父・用明天皇も疫病で亡くなられました。弱者の救済にも心を砕いた太子ですから、熱心に拝まれたことでしょう」。
その姿は、未曾有のパンデミックに直面し、生き方を模索する現在の私たちに重なるようだ。ふと、御仏が少し右を向いて座られていることに気づいた。住職にうかがうと「生誕地である橘寺を向いているといわれています」。太子の祈りは、御仏の心も動かしたのだろうか。
甘樫丘展望台
住所|奈良県高市郡明日香村大字豊浦
時間|自由
料金|無料
飛鳥寺
住所|奈良県高市郡明日香村飛鳥682
Tel|0744-54-2126
時間|9:00〜17:30 ※10〜3月は〜17:00 ※受付は各15分前まで
拝観料|350円、高中生250円、小学生200円
飛鳥時代からはじまる日本の枠組み10
1 日本、天皇という呼称
2 時計と暦(最初の漏刻)
3 官僚制度(役所組織の成立)
4 戸籍制度と住所表示(木簡)
5 納税制度(各地からの特産品)
6 貨幣経済(富本錢)
7 仏教隆盛(国際文化センター)
8 記紀万葉(歌集・歴史書編纂)
9 古墳壁画(大陸との交流)
10 都市交通(苑池・大道・京)
text: Noriko Yamaguchi photo: Mitsuyuki Nakajima
Discover Japan 2021年10月号「秘密の京都?日本の新定番?」