TRADITION

大阪天満宮《天神祭》
ド派手な商都の夏祭り!
改めて知っておきたい日本の祭り

2022.5.26
大阪天満宮《天神祭》<br>ド派手な商都の夏祭り!<br><small>改めて知っておきたい日本の祭り</small>

古くから日本人の暮らしに密着し、土地の風土や文化を表す「祭り」。祭りの中には旅行客が参加できるものも多く、地域の人々と同じ体験を共有できる。また参加することで日本の文化や歴史も学べる。祭りを目的とした旅は、普通の旅行では味わえない特別な体験をもたらしてくれる。

例年7月24・25日の2日間で開催される大阪天満宮の「天神祭(てんじんまつり)」は、京都の祇園祭、東京の山王祭と並んで日本三大祭りとも言われている。130万人もの人がどっと訪れ大賑わいする天神祭をひも解こう。

※2024年は7月24(水)・25日(木)にて開催予定

開催地・大阪天満宮とは?

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大阪天満宮 外観

奈良時代の白雉元(650)年、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造った頃、都の西北を守る神として大将軍社という神社を現在の地に祀った。以来この場所は「大将軍の森」、「天神の森」と呼ばれ、現在も南森町北森町としてその名を残している。

天満宮といえば、菅原道真を祀る神社。平安時代の延喜元(901)年、道真は藤原氏の讒言により都を追われて、九州の太宰府に流されることになり、その道中に大将軍社を参拝して旅の無事を祈願した。その後、道真は大宰府にて死を迎える。彼の死後、道長を陥れた藤原氏の人々が次々と変死を遂げただけでなく、天変地異が続き世は乱れた。これは道真の祟りと考えた当時の人々が、その名誉を回復し霊を慰めるために、彼を神として祀ったのが天満宮の始まりだ。

100隻もの船団が大川を行き交う!

もとは木津川沿いの木場の労働者たちが中心になりはじめた「どんどこ船」。中之島周辺から道頓堀川まで縦横無尽に漕ぎ廻り、祭りムードを盛り上げる

日本三大祭りのひとつである大阪天神祭は、天満宮の起こりにある天変地異を恐れる人々が、平穏無事な世の中を祈願し、神が荒ぶる事のないよう祀り鎮めるための祭りだ。その開催は6月下旬の吉日から7月25日まで。約一か月をかけて、さまざまな行事が行われる。中でも鉾流神事は歴史が古く、大阪天満宮が鎮座した翌々年の天歴5(951)年に、社頭の浜から新鉾を流し、流れ着いた浜に斎場(御旅所)を設けて禊を行った。斎場で休む神を迎えるために神領民らが船を仕立てて迎えに行ったのが、天神祭りの始まりとされている。この、御旅所へ迎えの船を出すのが船渡御(ふなとぎょ)と呼ばれる行事だ。

迎えの船に乗り込むまでの行列・陸渡御を終えた人々が船に乗り込み、催太鼓に続き、御神霊を載せた御鳳輦船(ごほうれんせん)の奉安船、供奉船など約100艘が水の上を渡る船渡御。その大船団だけでも見ごたえがあるが、さらに船渡御では神楽や能楽、郷土芸能が上演されるなど、見どころも多い。

江戸時代に、実際に新鉾を流して、流れ着いた場所に御旅所を設けるのはやめ、同じところに御旅所を設けるようになったため、船渡御も一定のルートを通るようになる。新鉾の流れでいろいろなことが左右されていた天神祭りだったが、この場所の固定化によって祭りのさまざまな行事の準備が事前に出来るようになった。

江戸時代は平和が長く続き、商業の町として繁栄を誇った大阪では、商人の大きな経済力を背景に、天神祭りはどんどん豪華になっていく。各町内で趣向を凝らした「お迎え人形」を作り、御旅所へ向かう船を飾り立てるようになると、天神祭りは大勢の見物客が群がる大イベントへと発展した。

明治維新の混乱で大阪の経済が沈滞したときや、第二次世界大戦中など、船渡御が一時的に中断されたことはあったが、現代も天神祭りの代表的な行事として、船渡御は続けられている。

平成6(1994)年には関西国際空港の開港記念に、天神祭りがオーストラリアのブリスベン市で開催されたことも。海外での斎行はもちろん初めてで、浮かれ騒ぐだけでない、神社の行う祭りの魅力である祭儀の厳粛さ、そして大阪商人たちが作り上げてきた渡御列の壮麗さを伝えるため、大阪天満宮の浸食や氏子ら約1000名が現地へ飛び、天神祭りの魅力をアピールした。

大行列の神輿、奉納花火…
さまざまなパフォーマンスを奉納する

船渡御の優美な水上パレードに合わせ、大阪市内の夜空に打ち上げられるダイナミックな奉納花火は、天神祭の大きな見どころのひとつ。約4000~5000発もの花火が奉納される年もある
天神祭のお触れ太鼓でつねに渡御の先陣をいく「催太鼓(もよおしだいこ)」。豊臣家の忠臣が主家の危機回避を天満宮に祈願した故事に因んだものといわれ、豊臣家より拝領と伝えられる太鼓を真紅の投げ頭巾をかぶった願人(がんじ)が「チェサジャー」、「ソコジャー」という掛声とともに威勢よく太鼓を打ち鳴らす
菅南連合という6つの町内会で組織される鳳講が担ぐ鳳神輿(おおとりみこし)。威勢のよい掛声とともに鳳凰を冠した大きな神輿が天高く舞う
船渡御の途中に奉安船(御鳳輦船・御羽車・鳳神輿・玉神輿)で行う荘厳な神事「船渡御船上祭(ふなとぎょせんじょうさい)」。神様に氏子や市民の暮らしぶりを船中から見てもらい、御加護を祈願する。賑やかなイメージが強い天神祭だが、その一方で平安を祈る儀式(神事)がしめやかに行われている

これまで幾多の変遷により存続が危ぶまれた時期もあった天神祭。 しかしその度に困難を打開し、伝統を守り、盛り上げていったのは浪速っ子の土性骨と心意気。天神祭はいまも、そうした人々の熱いエネルギーに支えられ発展している。

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天神祭
開催日|例年7月24・25日 ※2024年は7月24(水)・25日(木)にて開催予定
開催場所|大阪府大阪市北区大阪天満宮周辺
問|大阪天満宮
Tel|06-6353-0025
https://osakatemmangu.or.jp

ライタープロフィール
湊屋一子(みなとや・いちこ)

大概カイケツ Bricoleur。あえて専門を持たず、ジャンルをまたいで仕事をする執筆者。趣味が高じた落語戯作者であり、江戸庶民文化には特に詳しい。「知らない」とめったに言わない、横町のご隠居的キャラクター。

参考文献=「祭りの事典」東京堂出版、ウェブサイト「天神祭総合情報サイト」

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