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《根来塗》
人生を共にしたい、使うほど美しくなる漆器

2022.11.25
《根来塗》<br>人生を共にしたい、使うほど美しくなる漆器

約900年の歴史を持ち“漆器の祖先”とも言われる「根来塗(ねごろぬり/正式表記は根來塗)」。扱いが難しい漆器が多い中、手入れがしやすく経年変化でさらに魅力が増す、“用の美”を体現したうつわとして知られている。
そんな根来塗の可能性を守り、切り拓く作家・伊藤惠さんの作品が並ぶ企画展「わたしねごろ-時を共に歩む「根来」の漆器-」が、渋谷パルコのディスカバージャパンラボと公式オンラインショップで開催中! 定番のお椀やお箸、酒器など、一生物の漆器が並びます。
今回は根来塗とは何か? 魅力や制作工程、伊藤さんの作品をご紹介!

伊藤惠(いとう めぐみ)
和歌山県岩出市(旧岩出町)生まれ。奈良芸術短期大学(日本画コース)卒業。地元根来寺発祥、根来塗の復興事業に感銘を受け参加。岩出町伝統伝承事業根来塗指導員養成講座を受講後、塗師として根来塗の普及に務める。根来寺境内に紀州根来塗初根工房を開設。作品づくりを行うかたわら、ワークショップなども開催。

民藝運動家・柳宗悦も注目した根来塗とは?

カップ 眉間寺 小

「根来寺(ねごろじ)の『根来塗』は昔の物語になりました。しかしこれを試みる者がどこかに絶えないのは、塗としてひとつの型をなすからでありましょう。(後略)」
民藝運動の父であり、思想家の柳宗悦が1985年の著書『手仕事の日本』(岩波書店)でこう語っている。

約900年前、根来寺は高野山の高僧であった覚鑁(かくばん)上人によって、鳥羽上皇の勅願寺として開山された。その頃から根来と呼ばれる僧侶の仏具や什器がつくられていたという。使いこむことですり減った朱色の肌から、黒の漆がチラリと顔を出す独特の風合い。柳もそう語るようにこの根来塗、全国の漆器と比べても技法が特徴的だ。

「根来塗は木地に麻布を張り込んで、随所に布着せをします。堅牢な漆下地を施し、黒漆を3度、朱漆を1度塗ります。そして、根来で製作されているということが根来塗の定義です」
教えてくれたのは根来塗師の伊藤惠さん。
この工程からも想像できるように堅牢な漆器といわれるまでには数ヶ月、材料調達を含めれば1年もの時間を費やすことも。

「しかし、約400年前の豊臣秀吉の紀州攻めに遭い、根来塗は途絶えてしまいます。この地域には、塗師をはじめ大工などの技術者も多く、権力者からも一目置かれている場所でした。紀州攻めから逃れた技術者が地方に散らばり、各地域に漆器の技術が伝わったともいわれているんです。実は全国的にもよく知られている石川県の輪島塗もそのひとつです」

そして大衆漆器の製作が盛んな隣町、黒江(和歌山県海南市)にもその技術が伝わり、残っていたという。
「黒江はその名の通り黒の漆器が多くつくられていたのですが、小さい頃手元にあったのは、プラスチックに黒塗りと朱塗りを施したものでした。それが根来と同じ塗り方だったんです」
黒江塗は当時から身近な存在だったため、各家庭でよく使われていたという。伊藤さんは根来塗とは、海南市でつくられているものだと疑わなかった。

伊藤惠さんと、根来塗との出会い

伊藤さんが根来塗に出会ったのは28年前。日本画を学び、教師を志していた頃だ。赴任先の中学校で生徒たちの漆器体験に帯同したところ、根来塗を教えている先生に出会った。

「その時はじめてこの根来が岩出発祥ということを知りました。地元にこんな素晴らしいものがあるということ、それが途絶えてしまい、新たに復興させる動きがあること…。ふと立ち止まって考えた時に、教師は私以外にもなりたい人はいるだろうけど、この伝統産業を担っていくのは、ここで生まれ育った私にしかできないのでは? と思ったんです」

伊藤さんは根来塗を学ぶようになり、その後岩出町伝統伝承事業根来塗講座講師に任命され、職人として活動をはじめた。
「当時、根来塗を研究されていた美術史家の河田貞(かわだ さだむ)先生にたくさんのことを学び、骨董にも触れさせていただきました。何百年もの時を経ていまここに残る根来の美しさ、存在感に圧倒されたのをおぼえています。黒漆の上に朱漆を一度だけ塗っていることから、使い込むと朱色がすり減り黒漆が浮かび上がります。使うからこその美しさ。まさに用と美を兼ね備えたもの。自分もこんな風に、何百年も残るうつわをつくりたいと感じるようになりました。あの美しさは忘れられません」

和歌山県岩出市・根来寺にある根来塗工房。伊藤さんはこの場所で日々制作を行っている

毎日使いたい、一生をともにするうつわ

「根来塗はお寺の什器としてつくられたものなので、それをいまの時代にも使いやすいよう、かたち、大きさをちょっとだけ変えたりしています。高台の高さを低くしたり、微妙なところなんですけどね。その匙加減が使いやすさを大きく左右します。まずは自分が欲しい、使いたいと思うことが大前提です。上塗りの朱色はさまざまにパターンがあるので、希望があればオーダーも受けてます」

また、子どもが生まれたときは根来塗を最初に贈るなど、小さいころから触れる機会をつくってほしいと伊藤さんは話す。

「うつわが持てない時期であっても、親の手をかりてそれを使いはじめ、うつわとともに成長する人生をみなさんにも体験してほしいと思います。メンテナンスをしながら使い続けること、そこに美しさや豊かさを見出せるのが根来塗です。自分が息を引き取るそのときまで、側においてほしいですね。そしてまた、次の世代が引き継いでくれたら何よりうれしいです。」

根来塗の制作工程

1木地工程
伝統的な椀や酒器から現代のライフスタイルに合わせたカップなどの新しいかたちもつくられている。ケヤキ、ヒノキ、コクタンなど、用途によって使いわける。塗師とは分業。

2下地工程
まずは道管を塞ぐため、木地に生漆を塗り込む作業を何度も繰り返す。砥粉に水を含ませたものに生漆を混ぜ、一日以上寝かせた「寝錆」にさらに生漆を加えた「錆」をヘラ付する。口の部分は麻布を被せ布着せすることで補強。布との境界を「錆」で馴染ませる。さらに錆付けを繰り返し、堅牢な下地に仕上がる。

3塗装工程
黒漆を三度塗る中塗りの後、一度だけ朱の漆を塗り重ねる。伊藤さんは中塗りの黒漆は極力薄く、重くならないように心がける。上塗りは中塗りよりも少し厚めに仕上げる。

4完成
使いこむほどに黒漆が顔を出すのも塗り重ねて仕上げる根来塗ならではの経年変化。

読了ライン

作品ラインアップ

Discover Japan Lab.の店頭とオンラインショップでも販売中の伊藤惠さんによる根来塗をご紹介!

碗 眉間寺 朱(6万6000円)
もともとは天目台にのせるためにつくられた椀。東京国立博物館に所蔵されている根来塗もこの形だという。
「下が黒塗りなのは、天目台に置かれることを想定して、見えにくい部分だったからだと思います。朱漆は高価なので、昔の時代も合理的につくっていたんでしょうね」と伊藤さん。写しではなく、若干大きさを調整して飯椀として使いやすいようにした。「ご飯、汁物どちらでもいいですし、和歌山の人は茶粥(米をほうじ茶で炊いた粥)を入れてますね」
片口 朱(6万6000円)、盃 僧兵 黒(2万900円)と朱(2万5300円)
「片口は片手でも気軽に使いやすいよう手の収まりを意識しました。酒器としてだけではなく麺つゆやカレールーを入れるなど、さまざまに使ってほしいです。盃も和物をのせたり、自分次第で幅は広がりますよ」(伊藤)
根来塗は古くから転用もされていた。室町時代に使われていた角切の折敷が江戸時代には斜め半分に切られ、三角にされて残っていたという。昔もいまも、使い方は自由自在。
また、今回の朱色は陶器が並ぶ食卓にも合わせやすいように伊藤さんが新色を提案。お見逃しなく!
箸 黒檀 赤 四角 中(1万3000円)と大(1万4000円)
根来塗をはじめて取り入れるならば箸がおすすめ。薄く丁寧に塗り重ねられた根来は剥離せずにすり減っていく経年の美しさが楽しめる。毎日必ず使う箸でぜひ実感してほしい。
「この箸はコクタンを使用しているので、たとえ箸先が削れてきても、木自体が丈夫なのでそのまま使い続けることができますよ」(伊藤)

わたしねごろ
-時を共に歩む「根来」の漆器-

会期|2022年11月21日(月)〜12月2日(金)
オンライン|2022年11月21日(月)20:00より順次販売開始
会場|Discover Japan Lab.
住所|東京都渋谷区宇田川町15-1渋谷PARCO1F
Tel|03-6455-2380
営業時間|11:00〜21:00
定休日|不定休
※最新情報は、公式Instagram(@discoverjapan_lab)などで随時紹介しています。ぜひチェックしてみてください!

text=Wakana Nakano

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