新しい風を取り入れ、伝統を受け継いでいく、
江戸情緒残る「絞り」の町・有松
名古屋駅から名古屋鉄道に乗って約20分。「江戸時代の情緒に触れる絞りの産地」として日本遺産に認定された有松は、旧東海道の佇まいが残る町。約800mに渡って往時の繁栄ぶりを伝える豪壮な商家の家屋が建ち並び、江戸の風情をいまに伝えている。
数多くの旅人が往来する町では、歴史と伝統を受け継ぎつつ、温故知新のまちづくりを目的に、さまざまなイベントが開催され注目を集めている。
旧街道が最も賑わう、絞りに親しむ初夏の一日
「有松絞りまつり」
年間約20万人の観光客が訪れる有松。この町が最も賑わいを見せるのが、毎年6月上旬に開催される「有松絞りまつり」の頃だ。県内はもちろん、関東や九州など全国から約10万人が訪れ、町は活況を呈する。
絞りの普及・啓蒙をコンセプトに行われるこのイベントの会場は、普段は車や人が往来する旧東海道そのもの。切妻屋根の商家の軒先では、新作の絞り作品の展示会のほか作品の特別販売などが行われ、掘り出し物を求めて訪れる人も多いという。
またもう一つ見逃せないのが、ベテラン職人による絞り制作の実演だ。普段「有松・鳴海絞会館」で実演を行う工芸士たちが一堂に会し、人情味ある名古屋弁で来場者と会話しながら、手先をほとんど見ることなく作業を続ける様子はまさに職人技。文様をつくるために布に糸を巻きつける工程は、その繊細さに見惚れてしまうこと間違いなしだ。
「有松絞りまつり」の期間中はさまざまな催しが行われるが、中でも好評を博しているのが絞り体験。100種類におよぶ絞り技法の中から、雪の結晶のような模様が浮かび上がる「雪花(せっか)絞り」、蜘蛛の巣のような文様が特徴の「手蜘蛛(てぐも)絞り」といった、初心者でも挑戦しやすい絞りの制作が気軽に体験できる。また近年では、経験者を対象にレベルの高い絞りに挑戦できるプレミアム体験も実施。経験豊富な伝統工芸士から直接指導が受けられると、遠くは海外からやってくるリピーターもいるという。
「有松を訪れたならば、ぜひ絞りにチャレンジしてください。簡単な模様に見えても、実に手間がかかっていることが分かるはず。手を動かしてみて、改めて絞りの文様の美しさを感じていただけると思います」と、有松絞商工協同組合の理事長・成田基雄さん。
昭和40年代後半、製作に機械を導入する動きもあったというが、その複雑で美しい模様を生み出す8つの工程を再現することは困難を極め、機械化を断念。いまも職人の手仕事によってつくり続けられている。「同じものをつくろうとしても、職人によって糸の巻き方や染色のタイミングなどに微妙な差があるため、作品ごとに表情が変わります。世界に一つしかない意匠こそ、絞りの魅力です」
尾張藩によって東海道沿いに集落がつくられてから約400年の歴史をもつ有松だが、旧東海道に面して建つ商家や土蔵は、そのほとんどが江戸末期から明治期にかけて造られたものだ。1784(天明4)年に起こった大火によって一帯は灰燼に帰し、藩の援助を受けて建物は再建され、町は復興を果たした。その後、明治から昭和にかけて最盛期を迎えた。「この町は栄枯盛衰を繰り返してきました。災害だけでなく、和装から洋装への移行、繊維産業の衰退など、数々の困難に面したときでも、技術や製法など、新しいものを柔軟に取り入れながら発展してきた。『有松絞りまつり』も、絞りの知名度を高めようとはじめたイベントです。多くの人に来ていただき、絞りの存在を知っていただきたいです」
近年ではキッチンカーを呼んで飲食スペースを設けたり、マルシェを開くなど、若い世代が足を運びたくなるイベントづくりに力を注いでいる。「絞りに興味をもって、有松で新しく事業や店を立ち上げる若者も増えてきました。これからどんな町になっていくのか楽しみです」
絞りの町をカルチャーで彩る
「晩秋の有松を楽しむ会」
毎年11月の第2土・日曜に開催されている「晩秋の有松を楽しむ会」は、旧東海道や建ち並ぶ商家を会場に、生け花や音楽などのカルチャーに触れることができるイベント。2013年からはじまったこの行事の背景には、有松の歴史的な事情がある。
愛知県の知多半島が木綿の生産地だったことから、有松では手ぬぐいや浴衣などの木綿製品を多くつくってきた。そのため、いつの頃からか「有松=浴衣」というイメージが一般的になったが、本来は着物の加工を手掛けてきた町だ。「絞りは、木綿に限らず、ウールやポリエステルなどの素材でも加工できる。有松には浴衣だけでなく、着物もあるぞということをアピールしたかったんです」と語るのは、有限会社 絞染色 久野染工場・取締役専務であり、会の実行委員長を務める久野浩彬さんだ。
実はこの催しは、いけばなスペースいけばな展と絞りこみちを歩こうかいの、二つのイベントが合わさって生まれたものだ。当初は別々の催しだったが、町の活性化をより図るため同時に開催するようになり、やがて茶道など、着物のイメージに合う催しも行うようになったという。
8回目を迎えた2020年は、商家の軒先を生け花が彩り、町屋ではその雰囲気に合う箏(こと)、二胡(にこ)、津軽三味線を中心としたライブ、旧家の茶室では表千家のお点前などを開催。また、有松絞りの着物姿で桜花学園大学の学生やボランティアが訪れる観光客の案内などを行っていた。
穏やかな日差しに包まれた秋の一日、町に華やかさを添える生け花を愛でながら、旧街道をそぞろ歩いてみるのも趣深い。
「晩秋の有松を楽しむ会」では、普段非公開となっている町屋を見学することができる。東海道をゆく旅人に向けて店頭販売を行うため間口の広い主屋、漆喰で塗り固められた塗籠造(ぬりごめづくり)の壁、なまこ壁の土蔵など、往時の繁栄ぶりを感じる重厚な建築が、無電柱化した街道沿いに並ぶ。「有松の建物では、職人が絞りをつくり、完成した製品を販売していました。工場と店舗のスペースが一つの建物の中にあるのは、全国的に見ても珍しいと思います」と久野さん。
またイベント時には、「案内人(あないびと)」と呼ばれるボランティアガイドの説明も受けられる。建物に息づく商家の生活を感じながらゆったりと旧家を巡れば、もう一歩踏み込んだ有松の姿に触れられるだろう。
店舗と工場の顔を併せ持つ商家が並ぶ有松。久野さんは、有松の人の気質にもその二つが共存していると言う。「常に目新しいものを探し取り入れる商人の感覚と、現状のものをより良くするための工夫を重ねる職人の感覚があると感じています。歴史と伝統というバックグラウンドのある町だから、地に足を着けつつ、効率的に改良し、新しいものに挑戦していく気風。いまの町は、先人の試行錯誤の結果です。有松を盛り上げていきたいという気持ちは、時代を経ても何も変わらない。まずは小さなことからしか始められませんが、先輩たちが築き上げた良い部分を受け継ぎつつ、さらに魅力的な有松になるように、いろいろなチャレンジを続けていきたいです」
有松の夜を彩る、一夜限りの竹の灯り
「有松ミチアカリ」
日没を過ぎると、それまで賑わいを見せていた旧東海道は静寂に包まれ、通りの両側に並ぶ入り口を閉ざした商家の佇まいがよりいっそう重厚に感じられる。そんな静かな町のはずれで、竹から漏れるやわらかな光が道を照らす。
有松の町並みを光で演出する「有松ミチアカリ」は、名城大学をはじめとする学生や地域ボランティア、街道沿いの町内の人々が一丸となって年に一度行われているイベント。5回目を迎える2020年は、「晩秋の有松を楽しむ会」の初日夜に開催され、ボランティアや学生の手づくりによる約100本の竹の灯りが商家の軒先に飾られた。
今回の「有松ミチアカリ」では学生がテーマを決めて作品を制作した。「新型コロナウイルス感染症が世界的に猛威を振るったこともあり、今年のテーマは世の中を明るく照らすという願いを込め、『希望の灯り』にしました」と語るのは、学生ボランティアの代表を務める、名城大学理工学部建築学科2年生の石川真望さんだ。
卯建の上がる小塚家住宅の軒先には、雛祭り、花火、月見、雪だるまなど、日本の四季をイメージした作品が飾られた。また、道の向かい側に建つ安藤来助商店とゲストハウス MADOには、三角形を重ねて描かれる鱗文様の作品が並んだ。「今年は家にいることが多い年だったので、これまでのような一年を過ごすことができるよう、季節を感じるモチーフを採用しました。また、鱗文様には厄除や再生といった意味があります。来年が希望に満ちあふれるように祈りを込めてつくりました」
「有松ミチアカリ」は、一年に一度、一夜限りで行われるライトアップイベント。地域実行委員と建築を学ぶ現役の学生が中心となり、竹の伐採から加工、設置まで、すべてボランティアや学生の手で運営されている。「授業ではプランニングから図面制作までしか行わないことが多く、実際に手を動かして物を制作できるのが本当に楽しいんです。もちろん学生だけでは至らない部分もありますが、そんなときは地域の皆さんが支えてくれます。社会人の方と出会い、一緒に何かをつくり上げるのは、キャンパスにいては経験できない貴重な時間でした。少しでも町の活性化に役に立てれば嬉しいです」と石川さん。今年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、規模を縮小して実施されたが、今後は「有松全体をライトアップできるような規模に成長させたい」と夢を教えてくれた。
若者・家族が集う体験型マーケット
「アリマツーケット」
伝統的建造物群保存地区の西端、祇園寺の角に立つ石燈籠を目印に北に向かうと、道は有松の氏神として信仰を集める有松天満社へと続く。木々に囲まれた静かな境内は、近年始まった「アリマツーケット」の開催日になると、洋服やアクセサリーからコーヒーやマフィンなどの飲食物までさまざまなものを販売するテントが並び、大勢の家族連れで賑わう。
「歴史ある神社ですが、現在は宮司もおらず、付近の人が世話をするだけ。子どもたちの遊び場だった昭和の頃のように、人で賑わう場所にしたかった」と語るのは、この「アリマツーケット」を運営する株式会社山上商店 CEO・山上正晃さん。名古屋の中心部まで電車で20分ほどの住宅地でもある有松には、ファミリー層が多く、来場者の多くが地元の住民だ。出店者と言葉を交わしながら買い物を楽しむ横で、子どもがキッズスペースで遊び回る。会場の真ん中に設けられたテーブルでは家族でランチを楽しむなど、ゆるやかな時間が流れる。
2020年は「晩秋の有松を楽しむ会」と同日に行われた「アリマツーケット」は、今回で2回目。初回は2019年の「有松絞りまつり」に合わせての開催だったという。しかしその意図は、イベントの集客力をあてにするのとはまったく逆だ。「有松には絞りや古い町並みに興味を持つ人が大勢訪れますが、これまで有松を訪れることがなかった人をいかに呼び込むかが課題でした。そこで、これまでとは毛色の違うイベントを立ち上げ、若者やファミリー層を呼び込むことに。マーケットは町を訪れるきっかけでいい。有松のメインカルチャーである絞りや古い町並みに人を呼び込みたいのです」。山上さんの狙い通り、約2000人の来場者の多くが、マーケットと合わせて「晩秋の有松を楽しむ会」に足を運び、初めての有松観光を楽しんだという。
マーケットのコンセプトは、「であう×まなぶ×ひらめく」。販売ブースのみでなく、ワークショップも多いのが特徴だ。木工やキャンドル製作、絞りの体験など、実際に手を動かして“ものづくり”を体験することができる。「ここに来ることで人と人が出会い、お客様はワークショップを通してものづくりについて知り、クリエイターはダイレクトにお客さまの反応に触れることができる。また、クリエイター同士の交流も生まれます。有松は、古くから人とのコミュニケーションを通して、新しい産業・技術を生み出してきました。常に時代のニーズを捉えて町の姿を変えつつも、 “ものづくり”の町であり続けてきたんです。そしてこれからも続くために、さまざまなクリエイターが集う町でありたいと考えています。このマーケットが一つのきっかけとなれば嬉しいです」
かつて日本の交通の大動脈だった旧東海道沿いに豪壮な商家が軒を連ねる有松。家々の玄関には「有松・鳴海絞り」でつくられた暖簾が掲げられ、行き交う旅人を見守っている。
江戸時代からの伝統を受け継ぐ町は、イベントを通してさまざまな試みに挑戦し、多くの人々へ町の魅力を発信していた。“ものづくり”の町・有松の新しい顔と出会いに、ぜひ有松を訪れてみたい。
text:Yasunori Niiya(Arika Inc.) photo:Koji Honda