TRADITION

伊賀甲賀の司令塔、
服部半蔵
「戦国武将名鑑」

2021.5.22
伊賀甲賀の司令塔、<br>服部半蔵<br><small>「戦国武将名鑑」</small>

15世紀末から16世紀末、日本は戦乱の時代。室町幕府が完全に失墜し、守護大名に代わって全国で戦国大名が勢力を増した。日本史上の中でも戦国時代は、現代においてもなお伝説的な武将が多く存在している。人気の武将を図鑑形式で紹介する「戦国武将名鑑」。今回は、伊賀甲賀の司令塔であり、槍の半蔵の異名を持つ武将、服部半蔵(はっとりはんぞう)です。

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生没年
1542~1596年

Place
三河国(愛知県)
Data
由来|服部氏
通称|半蔵、石見守

八桁車の内堅矢

服部半蔵とは服部家の当主の名で、室町時代後期から江戸時代を通して12代続いた。いわゆる、良く知られる服部半蔵は徳川家康に仕えた2代目正成を指す。一般的には忍者として知られており、マンガやアニメのキャラクターのイメージとして引用された例は数えきれないほどである。なお、実際に初代服部半蔵は伊賀出身の忍者であったとされるが、2代目以降は武士であった(異説もある)。正成自身は忍者ではなかったものの、実戦では伊賀甲賀衆を指揮して戦闘を有利に進め、掛川城の攻略や姉川の戦いで戦功を重ね、徳川十六神将の一人に数えられている。また、その強さゆえに“槍の半蔵”の異名をとる。地下鉄の路線名にもなっている江戸城の半蔵門は、正成の屋敷のそばに建てられていたことからその名がある。

主君・松平信康の切腹

正成は、徳川家康の長男・松平信康の切腹に立ち会ったことでも知られる。信康は人々に慕われていたため、正成も涙のあまり刀を振り下ろせず、介錯役を替わってもらったといわれている。

年表

1542  三河国に生まれる
1557 三河国宇土城(上ノ郷城)を夜襲し戦功を立てる
1573 三方ヶ原の戦いで徳川軍は大敗。しかし正成は武功を立てたため、家康から褒美として槍を贈られ、伊賀衆150人を預けられる
1579 家康の嫡男・信康が織田信長に疑われて遠江国二俣城で自刃に追いやられ、介錯を命じられたができなかった
1584 小牧・長久手の戦いでは伊勢松島城の加勢で伊賀甲賀者100人を指揮し、鉄砲で羽柴方を撃退
1590 小田原征伐で家康に従軍
1596 横死

ゆかりのスポット

服部半蔵は東京・新宿にある西念寺に葬られ、現在も墓が残る。 西念寺は、家康公の嫡男である信康公の菩提を弔うため1593年に創建された。

西念寺

住所|東京都新宿区若葉2ー9
TEL|03-3351-0662
URL|http://www.yotsuya-sainenji.or.jp

 

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Supervision=Sunao Kawaguchi text=Ken Motoshiro illustrator=Mariya Arai, A&W
2013年2月号「武士道」

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