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「土楽窯」へ一生モノの土鍋を求めて
一流料亭にも愛され続けて40年!

2020.10.5
「土楽窯」へ一生モノの土鍋を求めて<br> 一流料亭にも愛され続けて40年!
敷地内に工房、窯場、事務所、展示室、そして母屋が並ぶ。写真は母屋の縁側。二人の前には30坪ほどの畑が広がり、そこで育つ野菜が食卓に並ぶ

三重県伊賀市丸柱──。中世以来の歴史をもつ伊賀焼の里だ。土楽窯(圡楽窯・どらくがま)は、この地で江戸時代から続く窯元である。長い歴史の中、改革者が現れた。7代目の福森雅武さん。茶の湯に通じ、何より旨いものを愛し、野菜を育てる陶工だ。美しい里山が広がる丸柱だが、50㎞ほど東は伊勢湾。山、田畑、そして海の恵みが味わえ、伊賀牛も有名である。そんな食材を生む自然を慈しむような福森家の上質な暮らし。多くの客人が訪ねるようになり、やがて傑作が生まれた。煮る、炊く、炒める、そして焼くができる土鍋と煮込み鍋だ。どちらも全国の上質な暮らしを求める人から愛されて40年。さらに、当主の福森道歩さんが新しい製品に挑戦している。

福森雅武さん
1944年、三重県伊賀市生まれ。土楽窯7代目。茶陶で評価を得たが、生活と仕事が分離したところに、美しいものは生まれないと食器づくりに邁進。料理店の注文で土鍋をつくりはじめた

福森道歩さん
1975年、三重県伊賀市生まれ。雅武さんの四女。料理を学んだ後に大徳寺龍光院で禅の修業。2003年から土楽窯(圡楽窯・どらくがま)。現在8代目当主。自身の作陶とともに工房の仕事を取り仕切る

究極の生活者から、
究極に暮らしに寄り添う土鍋は生まれる

福森道歩さんの後を追って畑と登り窯を通り抜け段差を上がった。そこには栗の木があり、食べ頃の実がたくさん落ちていた。近隣では松茸も採れ、その採取権ももっている。

「父は、松茸が目の前にあっても踏んで通り過ぎちゃうタイプ」

食材を収穫する腕は譲っても、居間の自席は譲らない。囲炉裏の前、床の間を右にして縁側越しに庭が見える席だ。床の間に花を生け、軸を飾るのは雅武さんである。

「16歳のときに父親が死んで、窯の職人に仕事を教わった。家を継いだのは26歳のとき。当初は茶道具をつくっていましたが、そのうちに料理から考え直したい、と思うようになったんです」

白洲正子は圡楽窯をつづった文章を、こう書き出す。「伊賀の丸柱に美味しいものを喰べさせる家がある」。

美食を極めるとは違う。床の間に飾る花や軸を見立てたように、季節をとらえ、食材を見極め、調理する。

「あるがまま」という姿勢から生み出された流儀が、自然に料理を美味しくさせる。こうした暮らしの中から、やがて時代を超えて愛される圡楽窯の土鍋が生まれたのである。


若かりし頃の雅武さんは茶陶をつくりはじめると、生け花、書画骨董も独学して才能を開花させていった。その後、食器を中心に作陶したが、現在ではまた茶陶もつくっている


庭の蓮の葉と実を生け、江戸初期の臨済宗の僧・江月宗玩(こうげつ・そうがん)の軸を掛けた


道歩さんと私たちで採った栗


自家製の織部釜で炊いた松茸ご飯


伊賀牛のミスジに松茸を入れ、日本酒を加えた。圡楽窯の黒鍋は深くないので、陶板焼きができる。煮る、炊くはもちろん炒めるも可能な、万能の土鍋だ


福森家の畑で採れた野菜。ホウレンソウとニンジン菜のゴマ和え。抜き菜といって、生育途中で抜いた若芽も食卓に並ぶ

一生懸命やらなければ、ただの人


電動ではなく、足で蹴ってろくろを回す蹴ろくろで作陶する。現在は、うつわ、茶道具をつくり、全国にファンがいる

土楽窯の代表的な土鍋である「黒鍋」は、浅く平たい独特のかたちだ。京都の老舗すっぽん料理店の注文を受け、まだ20代だった福森雅武さんが考案したものである。

もちろん使うのは伊賀の陶土。太古の昔、琵琶湖の底にあったものが地殻変動で地上に出た土で、有機物を多く含んでいる。焼き上げると、この有機物が燃えて小さな空洞ができる。内部に空洞がある焼き上がりが、伊賀の土鍋の基本だ。熱しにくいが冷めにくいという特性が生まれるのである。土楽窯の黒鍋は熟練の職人が、ろくろで一つずつ挽き上げる。均一の厚みをもたせて大きな土鍋を挽くことのできる職人は伊賀でも数少ない。

実は、雅武さんが若かった頃は伊賀焼の変革期。機械生産や型枠づくりで大量生産を目指す窯元が現われはじめた。こうした風潮には乗らず、雅武さんはろくろ挽きを貫いたのである。

「先代のものはやらない。問屋に頼らない。そんな強い思いがありました。ただ自分のお客さんを一から探さなくてはいけなくなりました」

釉薬は独自に研究した。鍋は調理道具であると同時に、食卓にそのまま供されるうつわでもある。料理が映えるようにと黒釉が生まれた。

煮込み鍋をつくりはじめたのも同時期。ポルトガル、スペインと旅しているときに思いついた。底を平らにして火の当たる面積を広く取り、煮立ちが早くなるように工夫したのだ。

現在、圡楽窯は道歩さんが当主だ。土鍋、煮込み鍋ほか、窯の定番商品は職人たちとつくる。縄文時代から使われてきた土鍋が、この先もずっと愛され続ける調理料道具となるように、と道歩さんは願う。そして、そのよさを父の雅武さんとは違った方法で伝え続けている。著作で土鍋の現代的な使い方を提案するほか、各地に赴いて土鍋料理を実演し、実践してもらうのだ。

つくり手の想いと技が詰まった圡楽窯の土鍋は、まさに一生モノ。土鍋とともに福森家の暮らしの流儀まで受け取れたら、私たちの人生も豊かになる。

使いはじめは、
おかゆを炊いて目を詰めましょう

黒鍋 5060円〜

伊賀焼のルーツ:中世にはじまり、水瓶、壺、擂鉢などをつくっていた。桃山時代から江戸前期には、粋人たちにより茶陶が焼かれた。江戸中期に一時衰退し、京都や瀬戸から陶工を招いて再興。土鍋や行平をつくるようになった。

土楽窯(圡楽窯)の設立|250年〜300年前
黒鍋の誕生|1975年
黒鍋の原料|伊賀の陶土を基本にして配合


≫圡楽窯の黒鍋を再入荷しました

土鍋のルーツは茶陶でした

土楽窯では代々茶陶をつくっていた。雅武さんは若くして粋人たちから才能を認められ「裏千家の秘蔵っ子」ともいわれた。(雅武さん作。)

土楽窯の傑作・黒鍋ができるまで


古琵琶湖層という地層から採れる地元の土を基本に配合し、精製、熟成させて陶土にする


陶土をもとに、職人の手により土鍋をつくる。一つひとつ手挽きで形成していく


定番商品の成形は正確さが要。サイズもきっちりと合わせる。大量生産はできない


2日ほど乾かし、底を削って、取っ手をつける。これらもすべて手作業で行われる

成形された土鍋は、素焼、施釉、本焼を経て完成となる。昔から変わらない工程だ

≫「土楽窯」の商品がDiscover Japan
公式オンラインショップで購入できます

 

 

圡楽窯
住所|三重県伊賀市丸柱1043
Tel|0595-44-1012
営業時間|11:00〜17:00
定休日|土日祝日、年末年始、お盆休み
※見学要予約

text: Hiroyuki Aino photo: Sadaho Naito
2019年12月号「人生を変えるモノ選び」


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