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人とつながる、人と育む
福井の暮らし【前編】

2022.2.10
人とつながる、人と育む<br>福井の暮らし【前編】
左から)海辺の百笑(百姓)志野佑介さんと志野太祐くん、ライター・まちづくりコーディネーター髙橋 要さん、半農半縫製・志野映里さん 、版画家・おさのなおこさん、教育・旅行コーディネーター松平裕子さん、ヤギ園運営・ヤギスタグラマー(インスタグラマー)鈴木涼佑さん

壮麗な海と山が市内に凝縮され、高い幸福度を誇る福井。傍目から見ればこの地は宝の山だが、人は得てして身近なものの魅力に気づきにくい。謙虚で地元愛あふれる市民の姿をひも解けば、真に豊かで心地いい暮らしが見えてきた。

福井は別名「不死鳥のまち」?!
歴史から読み解く、福井の話

風光明媚な山海と市民の底力が育んできた土地の姿を知れば、いい意味で裏切られる福井。不屈の精神で幾度となく立ち上がってきた街には、幸せを軸とした人間らしい暮らし方が息づいている。

都市生活と自然が共存丁寧な暮らしができる街
いつかは移住を――。そんな夢を後押しするのは、意外にもコロナ禍という現実だ。中でも「全47都道府県幸福度ランキング」において4回連続の総合1位を獲得し“幸せの街”として名を馳せる福井は、年々移住者が増加しており注目度も高い。だが具体的に何をもって福井は幸福度が高いといわれているのだろうか。その理由を、不屈の精神で不死鳥のように立ち上がってきた歴史背景と風光明媚な地形からひも解いてみたい。

1896年、福井初の鉄道である北陸線が開通し、市民の悲願でもあった福井停車場(現福井駅)が開業した当日は、昼夜問わず花火が打ち上がるなどそれは華々しかったと記録されている。古来、福井の繁華街といえば、北陸と京都を結ぶ交通の要所「九十九橋」周辺。だが鉄道開通がきっかけで、一気に駅前エリアが花開くこととなったのだ。現在福井では2024年春に北陸新幹線の開通を控えているため、往時同様に駅周辺では再開発が急ピッチで進められている。街の姿が変わることへの期待と高揚感は、いまも昔も変わらないだろう。

しかし鉄道開通から約50年後。1945年の福井空襲に1948年の福井地震と、たび重なる災いから市街地は壊滅的な被害を被ることとなったが、くしくも福井が“幸福”を基盤とした街となる発端はここにある。一致団結した市民が、生活インフラに力を入れた街づくりを推進。急速な復興を遂げたことから市街地を縦貫する旧国道8号線は「フェニックス通り」と名づけられ、いまもなお福井の底力と歴史を物語っている。

また、福井の幸福度を歴史的背景から語るに欠かせないポイントが、女性の就業率と越前の国より盛んであった繊維産業である。絹織物は江戸時代には藩の財政を支える重要な品目であったと記録されており、明治時代には郷土菓子として有名な「羽二重餅」の由来となった羽二重織物も登場。主生産品目を人造絹糸(レーヨン)へと変換した1930年代以降になると繊維産業は再び大躍進し、祖母や母が繊維産業で働く姿を見て育ったことが、そのまま現代へと続いているのである。現在でも繊維産業をはじめとした多くのBtoB製造業が福井に拠点を置くことから、有効求人倍率は常に全国トップクラス。そして福井が移住先として人気を誇るもうひとつの安心材料が、地域一丸となって築いてきた子どもたちの育成と高い教育水準である。

市内には小学校の数と同じだけの公民館が地域ごとに配備されているなど、教育支援が手厚く県外からの視察も多い。下校した子どもたちは近隣の児童館で先生に勉強を見てもらうことが当たり前となっており、保護者が迎えに来る頃には宿題が終わっているというのが福井流。仕事と家庭の両立にもひと役買っている。そしてこれら「仕事」と「教育」の分野において、福井は5回連続の全国トップを飾るなど、生活に密着した部分の充実度が、そのまま幸福度につながっているのかもしれない。

さらには地域性を如実に反映する食文化においても、福井は独自路線を走っている。その最たるものが「お総菜文化」であり、夕刻には仕事帰りの人々でお総菜売り場が賑わう。まだまだ中食を利用することに抵抗感を示す人も多い中、共働きを当然としていた福井では、家族分のお総菜が買い物カゴに入れられる光景は日常のひとコマ。また「仏教王国」としての信仰心の厚さから、油揚げや餅を愛するといった独特の食文化も暮らしに息づいている。

「外から訪れた人たちは、水道水が美味しいといったことや空が広いなど、私たちが当たり前過ぎると思っている数々のことに感動してくれるんです」と土地の人が話すよう、魅力が日常の一部であればあるほど、地元の優れた点に気づきにくいのかもしれない。そんな中、土地の人さえも知らなかった越前海岸の魅力を新しい角度でとらえ直そうとする団体が「越前海岸盛り上げ隊」である。自身が暮らす地域や生業を知ってもらうことで地域理解につなげようとしており、何やらおもしろそうだと県内からの注目度も高い。

今後の街の構想としては、福井駅を中心に周辺市街地や農山漁村部が公共交通ネットワークで結ばれた集約型都市構造を目指している。現に市内には福井鉄道の路面電車やバスが走っていることから、車がなくとも生活や観光に特段支障はない。中心街で暮らす分には「地方移住=モータリゼーション」という方程式が成り立たない点も福井移住のメリットだ。

このように都市生活と自然が共存する福井には、衣食住が丁寧に紡がれた人間らしい暮らしがある。それこそが幸福度であり、移住したいと思わせる福井の実力なのだ。

《福井に暮らす人 case 1》
福井は宝であふれている。
そんな地域の資源を生かす
百笑(ひゃくしょう)になりたい。

二人の縁を取りもった、見晴らしのいい畑。肥料となる草を土にすき込むことで、太陽と土の養分を草が媒介する自然農法を実践中

人柄と晩景に惚れた浜で根を下ろして暮らす
「ここで夕日を見て暮らしたいと思った」と話すのは、千葉から越前海岸沿いの浜に移住を決めた志野佑介さん。市内でもここまで見晴らしのいい場所は珍しく、高台からは海と山が近接する福井市らしさが丸ごと堪能できる。

農業大学卒業後は千葉県にて農業を営んでいたものの、ふと人生に迷ったタイミングで、知人が経営する農業ベンチャー福井事業所の話が舞い込んだという志野さん。

「1年半ほど福井市で暮らしてみたら、海に沈む夕日と山がギュッと詰まっているこの土地と、この浜に暮らす人たちの人柄に惚れてしまったんです。せっかく移住したのに外に仕事を求めてしまったら、帰ってくる頃には真っ暗になって夕日が見られなくなる。そこで農業ベンチャーの仕事を辞め、この土地でできる生業は何だろうと熟考した際のひとつが製塩。さらにもう3つが農業で、養鶏で、海士という感じです」と、地域でできる生業を積み上げた結果、自給自足の暮らしになったのだ。

中でも、山から流れ来る豊富な栄養を蓄えた海水を薪火で炊き上げた「百笑の塩」の製塩は、志野さんの名刺代わりとも呼べる生業。2400ℓの海水は4日間かけ塩へと生まれ変わるが、灰汁や不純物を丁寧にすくうといった手間を惜しまない姿勢が、透明度の高いキラキラとした結晶を生む。かまどに火を起こすと製塩所は途端に煙った匂いに包まれたが、燃料として活用するのは古家の廃材など。この地がもたらす持続的な暮らしを垣間見た気がした。

志野さんは自らを百姓ならぬ“百笑”と名乗っているが、その名の通り朗らかでよく笑う。だからこそ志野さんを頼って周りには人が集まってくるのだが、その一人が地元で農業をはじめようと、東京からのUターンで畑を探していた妻の映里さん。見晴らしのいいこの土地を紹介したのが移住者の志野さんという不思議なエピソードだが、映里さんが一人で農業に勤しむべく借りた畑は、現在は家族の食と暮らしを支える生業となった。

最後に出身地を問うと、はにかみながら「いつも聞かれて困ってしまうんです」と転勤族ならではの悩みを打ち明けてくれた。幼少期から引っ越しを繰り返すこと14回。地元と呼べる場所がないからこそ、家族とともに根を張って暮らす現在の姿は憧れでもあったという。だからこそ“地元の一員”として越前海岸を盛り上げたいと、志野さんがこしらえた塩や畑で採れた野菜を売る「しの屋」は、越前海岸のファンを増やすための場所。いいものをつくっても人に届かないと意味がないとの想いから対面販売にこだわり、丁寧につくったモノを丁寧に売っている。

「地域の仲間たちとできることが一個ずつ増えていって、多様性のあるコミュニティを築いていけたらなと。僕は越前海岸盛り上げ隊のいいところだと思っているんですが、グイグイ盛り上げるというよりも、自分たちが暮らしていく中で、次世代の未来が明るくなるようにといった穏やかなテンションなんですよね」

自然の豊かさをいただく暮らしを実現
年間100種類もの野菜の栽培に300羽の養鶏と、調味料から何からなにまで、ほとんど自分たちで賄っている志野さん一家。製塩所の壁一面に描かれた絵は、仲間たちとともに育んでいる豊かな世界を表現している。

目指すは持続的な生活、製塩を軸に農業や海士も営む
林業の手伝いをしていた際に、伐採で山がきれいになればいい水が海に流れ、その木材を燃料に目の前の美しい海から塩ができると考えた志野さん。ニワトリは越前のカニ殻やワカメで育てるなど、いまあるものを利用して自然の恩恵を循環させる仕組みづくりが楽しいという。

販売所では塩をはじめ、畑の野菜も販売
市街地からは車で約1時間離れているが、志野さんが薪火で4日間かけてつくる塩や、映里さんが自然の力のみで育てた野菜にはファンが多い。まさに越前海岸の魅力を再発見できる店となっている。

福井市鮎川町/ ヒトモノコトを伝え繋がる商店「しの屋」 志野佑介さん、映里さん

移住Q&A
Q.福井に暮らしてからはじめた趣味は?
A.幼少期より自衛官の父親から素潜りを教わっていました。これまで海に潜ることはなかったのですが、その能力を生かしてはじめた海士は、越前海岸ではじめた趣味のひとつです

Q.福井市内でよく行く場所、好きな場所は?
A.とにかく越前海岸が好きなので、仕事で市街地に赴く以外はこの浜にいます。近所に海士さんがやっている焼肉店があるのですが、そこは地元の人たちが集まる交流の場です

Q.利用した移住制度は?
A.U・Iターンの新規就農者が、年間30万円(最長2年間)を受け取れる「福井市新規就農者経営支援事業(市単独奨励金)」を利用しました。市役所で教えてもらった感じですね

Q.ズバリ、福井の魅力は何?
A.人柄です。福井の人たちは地元に深い愛情をもっているからこそ、移住者を応援してくれる人が多いんです。厳しい冬を耐え忍んだ人がもつような、福井特有の温かさがあります

一日のスケジュール例
◎志野佑介さん(夏の平日)
5:00   起床 メールチェック 家族でお散歩
6:00   朝食
7:00   ニワトリの世話
7:30   製塩火入れ
8:00   田んぼの草刈り
10:30  海で海士仕事
12:00  昼食
13:00  製塩作業 海水汲み
17:00  田んぼの草刈り
19:00  夕食
21:00  就寝

◎志野映里さん(夏の平日)
5:00  起床 家族で散歩
6:00  朝食
7:00  家事(育児、掃除、洗濯など)
8:00  畑時間(休憩入れながら11時頃まで)
12:00 昼食
13:00 子どもと遊ぶ
15:00 おうちの事(夕食の準備など)
19:00 夕食
21:00 就寝

移住後からはじめたという海士仕事を含む夏の過ごし方。元スタイリストの映里さんは「半農半縫製」を掲げ、雨天時は畑仕事がミシン作業となる。

越前海岸 志野製塩所
ヒトモノコトを伝え繋がる商店「しの屋」

住所|福井県福井市鮎川町133-1-1
Tel|070-3630-1920
営業時間|11:00〜17:00
定休日|月〜金曜
https://shinoya004.stores.jp

 

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text: Natsu Arai photo: Kenji Okazaki illustration: Fumiaki Muto
Discover Japan 2022年3月号「第2の地元のつくり方」

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