平安時代から続く商業の中心地「新町通」
京都御所周辺完全攻略
平安時代、界隈には宮中の修理事業を担う工人が住む修理職町があり、北端を町口、南端を町尻と呼んだ。ここから通り名が誕生したが、新町通となったのは「天正の地割」以降。商いの街であったことは藤原定家「明月記」にも記されている。安土桃山時代には豪商・茶屋四郎次郎が邸宅を構え、両替商・三井家の拠点が置かれた。
全長:約9㎞
北は上賀茂大橋から南は久世橋通まで。途中、京都駅で中断
開通:平安京の野尻小路にあたる
主な建築物・史跡:長江家住宅、茶屋四郎次郎屋敷址、放下鉾町会所、無名舎(吉田家住宅)など
北は上賀茂大橋から南は久世橋通まで。途中、京都駅で中断
開通:平安京の野尻小路にあたる
主な建築物・史跡:長江家住宅、茶屋四郎次郎屋敷址、放下鉾町会所、無名舎(吉田家住宅)など
やま清
亡き父から学んだ、慶応年間創業の老舗、久保田豆腐の大豆の味を、いまも真摯に伝える店主。昔ながらの地下水を使い、毎日仕込むとろ湯葉やおぼろ豆腐は、その甘みと濃厚さに感極まる。
《京都御所周辺完全攻略》
1|河原町から目ぬき通りへ「河原町通」
2|洛中一の寺院街から商業の道へ「寺町通」
3|御所参内のために秀吉が新設「御幸町通」
4|平安京ではこの道が〝富小路〟「麩屋町通」
5|名付けの由来に謎が残る通り「富小路通」
6|邸宅街から商業地への変遷の道「高倉通」
7|車関連の業者が軒を連ねた道「車屋町通」
8|一方通行規制はこの通りから「東洞院通」
9|ここは〝町〟と〝野〟の境目だった「堺町通」
10|2本の通りの間にできた道「間之町通」
11|金座・銀座が置かれた金融通り「両替町通」
12|商工業の中心地として発展「室町通」
13|戦国時代は馬が駆ける道だった「柳馬場通」
14|市電開通で拡張した経済道路「烏丸通」
15|釜を鋳造した〝釜座〟に由来「釜座通」
16|衣服との深いかかわりから命名「衣棚通」
17|良質の水に恵まれ染色業が発展「西洞院通」
18|茶の湯文化が息づく通り「小川通」
19|主要道路として千年の歴史あり「油小路通」
20|平安時代から続く商業の中心地「新町通」
21|かつて禁裏との境界だった通り「二条通」
22|京の東西を一つにつなぐ大動脈「丸太町通」
23|御所御用の職人が暮らした通り「竹屋町通」
24|新旧ショップが集う家具屋街「夷川通」
25|歴史ある場所からカルチャー発信基地まで「御所北」
26|知る人ぞ知るお店が並ぶ「御所東」
27|御用達の老舗からフランス雑貨まで「御所西」
28|「神宮丸太町駅」界隈で出合う美食
29|「烏丸御池駅」界隈の美食巡り
30|「今出川駅」界隈で出会う名品
1|河原町から目ぬき通りへ「河原町通」
2|洛中一の寺院街から商業の道へ「寺町通」
3|御所参内のために秀吉が新設「御幸町通」
4|平安京ではこの道が〝富小路〟「麩屋町通」
5|名付けの由来に謎が残る通り「富小路通」
6|邸宅街から商業地への変遷の道「高倉通」
7|車関連の業者が軒を連ねた道「車屋町通」
8|一方通行規制はこの通りから「東洞院通」
9|ここは〝町〟と〝野〟の境目だった「堺町通」
10|2本の通りの間にできた道「間之町通」
11|金座・銀座が置かれた金融通り「両替町通」
12|商工業の中心地として発展「室町通」
13|戦国時代は馬が駆ける道だった「柳馬場通」
14|市電開通で拡張した経済道路「烏丸通」
15|釜を鋳造した〝釜座〟に由来「釜座通」
16|衣服との深いかかわりから命名「衣棚通」
17|良質の水に恵まれ染色業が発展「西洞院通」
18|茶の湯文化が息づく通り「小川通」
19|主要道路として千年の歴史あり「油小路通」
20|平安時代から続く商業の中心地「新町通」
21|かつて禁裏との境界だった通り「二条通」
22|京の東西を一つにつなぐ大動脈「丸太町通」
23|御所御用の職人が暮らした通り「竹屋町通」
24|新旧ショップが集う家具屋街「夷川通」
25|歴史ある場所からカルチャー発信基地まで「御所北」
26|知る人ぞ知るお店が並ぶ「御所東」
27|御用達の老舗からフランス雑貨まで「御所西」
28|「神宮丸太町駅」界隈で出合う美食
29|「烏丸御池駅」界隈の美食巡り
30|「今出川駅」界隈で出会う名品