TRADITION

真言密教はじまりの地「東寺」
空海の聖地を訪ねる。

2020.9.4
真言密教はじまりの地「東寺」<br><small>空海の聖地を訪ねる。</small>
講堂の立体曼荼羅。弘法大師空海が21体の仏像で密教の世界観を伝えるために設計。平安時代の作も15体あり、そのすべてが国宝

「身は高野 心は東寺に おさめをく」。これは弘法大師空海が晩年に高野山金剛峯寺へ身を移した際に詠んだ歌で、東寺を去るときには怒れる尊格の不動明王も涙したと言い伝えられています。空海が真言密教の根本道場とした古刹「東寺」の歴史と魅力に迫ります。

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重要文化財『弘法大師行状絵詞 第8巻(東寺勅給)』南北朝時代/蔵=東寺、写真協力=東京美術

実は嵯峨天皇からのプレゼント
東寺が建立されたのは796(延暦15)年だ。その後、時の嵯峨天皇より弘法大師空海に下賜された。823(弘仁14)年のことである。

布教活動はやっぱり都会がイチバン

平安京が築かれた際、帝の御座はいまに残る御所よりも西にあり、城内の入り口には羅城門が設けられた。そして、門の東西に王城鎮護、国家鎮護のため東寺と西寺が官立寺院として建立された。現存するのが東寺である。

京都駅の新幹線ホームからは、東寺のシンボルである五重塔が見える。八条口を出ると歩いても15分ほどだ。弘法大師空海は、密教の伝達者として朝廷に認められると東寺の下賜を受けた。以来、ここは真言密教の根本道場となり、現在に至っている。境内を歩きながら総務部長の三浦文良さんが言う。

「弘法大師空海は、高野山を修行の場として開いたわけですが、布教となれば、やはり人の集まる都市がよいですよね。そうして嵯峨天皇から下賜された東寺を布教の拠点としたのです」

密教は即身成仏を説く。この深遠な教えは文章では表現できず、曼荼羅などの視覚的な造形物によってその神髄を伝えようとする。また併せて現世利益を説く密教は平安時代初期それまでの仏教とはまったく違った新しい思想だった。さらに、開祖である弘法大師空海の多才さと親しみ深さも重なり、「弘法さま」あるいは「お大師さま」として皇族から庶民まで広く信仰を寄せられていく。

境内は、広大で、大らかな空間である。古くより開かれた寺であったことを伝えるのは、毎月第1日曜に開かれる骨董市、さらに弘法大師空海の月命日に当たる21日に毎月催される弘法市ではないだろうか。世界文化遺産に登録されている境内に、数多くの露店が並んで賑わう。京都の地に長きにわたって親しまれている縁日である。

もちろん、金堂、講堂、そして五重塔の壮観を堪能するのもいい。さらに講堂に配された真言密教の粋、立体曼荼羅は圧巻。いま、東京国立博物館に仏像の大部分が運ばれ特別展の最中だが、弘法大師空海の描こうとした密教世界を知るには、東寺を訪ねるに限る。講堂を見学中、三浦さんが言った。

「立体曼荼羅の完成に間に合わず入定し、大師は見届けられなかったのです」

立体曼荼羅で知られる「講堂」
立体曼荼羅を安置。823(弘仁14)年に弘法大師空海が着工したが、完成は没後の839(承和6)年。現在の建物は室町時代の再建。

東寺のシンボル「五重塔」
実に4度も焼失に遭いながら、その都度再建された。現在は1644(寛永21)年の5代目で、優れた建築技術で国宝だ。

薬師如来が鎮座する「金堂」
東寺が弘法大師空海に下賜されたとき完成していたのは金堂のみだった。現在の建物は桃山時代のもの。天竺様式で、国宝。

 「灌頂院」で行う秘密の儀式があるってホント?
灌頂院は、真言密教の灌頂を行うところだ。灌頂とは非公開の儀式で、仏の位に達したことを証明するもの。選ばれた僧侶は、諸仏や曼荼羅と縁を結ぶために頭頂部に水を濯ぐ。そして密教の正統な継承者の資格を得る。

密教の要素は後づけでした
来歴をたどれば、当初は真言密教の根本道場ではなかったことがわかる。はじめは薬師如来を本尊とする王城鎮護、国家鎮護の官立寺院。弘法大師空海はそんな発端と密教の両立を図った。

text=Hiroyuki Aino photo=Satoshi Yasukochi plan=A2WORKS special thanks=Benrido
2019年5号 特集「はじめての空海と曼荼羅」


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《空海の聖地を訪ねる。》
1|真言密教はじまりの地「東寺」
2|「大日如来と薬師如来」を比較で知る密教の個性
3|秘境の宗教都市「高野山」が生まれた理由
4|修行の場を曼荼羅化した「壇上伽藍」
5|入定した空海が生き続ける「奥之院」

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