《京都 木乃婦》
三代目 高橋拓児氏が生み出した常識を覆した名物料理「ふかひれ胡麻豆腐」とは?
ふかひれは中華料理の食材なのか。そんな疑問から生まれた土鍋の料理。京都の料亭三代目のハングリー精神から生まれたその一皿は、私たちの思い込みを軽やかに塗り替えた。いまや押しも押されもせぬ名物として定着した木乃婦の「ふかひれ胡麻豆腐」、その誕生には自由に攻めの姿勢を貫く三代目の、試行錯誤の物語が詰まっていた。
固定観念を見事に覆した料亭で食べるふかひれ料理
宮内庁御用達の料亭「木藤」で修業した初代が、新町通仏光寺で暖簾を上げたのが1935(昭和10)年。当時は仕出しが専門だった木乃婦。しばらくしてから10ほどの席を設け、戦後に場所を現在地へ移転、拡張。名店の仲間入りを果たした。
80余年も続く木乃婦であっても、数百年の歴史を持つ老舗が居並ぶ京都では歴史が浅いという立場になる。しかしそれを逆手にとって、新たな料理を次々考え出したのが、三代目の高橋拓児さんだ。「ふかひれ胡麻豆腐」はその成功例のひとつ。考案から四半世紀が過ぎ、押しも押されもせぬ名物として定着した。
その背景にあったのは、「思い込みからの脱却です」と高橋さん。客にふかひれの料理を供すると必ず「中華料理みたい」という反応が返ってくるが、ふかひれは気仙沼で捕れる日本の食材で、和食に取り入れても問題ないはず。多くの人の思い込みを払拭しようと、和食の一品として認められるふかひれ料理をつくろうと決意。そこからすべてがはじまった。
完成までは試行錯誤の連続
「科学者のような考え方も必要」
ふかひれを引き立てる食材は試作を重ねた結果、胡麻豆腐に決めた。スープは金華ハムと昆布、鶏ガラでとり、味付けは日本酒と薄口醤油。木乃婦には、初代が考案した看板料理「飯蒸しの銀あんかけ」がすでにあり、「ふかひれ胡麻豆腐」もこれに倣って、蒸し物として客に出すことにした。評判はよかったが、高橋さんはまだ納得していなかった。「アツアツで出したかったんですが、そうすると胡麻豆腐が溶けるので、少しぬるめで出さざるを得なかった」。
それからは胡麻豆腐を根本から見直し、高温にも耐える胡麻豆腐づくりに励むことに。
大きく変えたのは濾し器。目の細かい金属製のメッシュを使うことで問題が解決した。通常は馬濾しや布を使って濾す生地を、目の細かいメッシュに替えることで、葛の結合が強まり高温にも耐えられるようになった。着想から完成まであっという間にも思えるが「その途中では、科学者のような考え方も必要でした」と高橋さんは振り返る。
「失敗はない」こうして、新たな名物がまた生まれる
東京の吉兆で修業を積んだ高橋さんは、「ある意味自由なので思うようにやっていきたい」と今後も攻めの姿勢を貫く。京都にあるどんな名物も、はじめは数えきれないほどの試行錯誤があったはずだ。
「新しい料理をつくるときに失敗はありません。成功するまでつくり続けますから」。
木乃婦が100年、200年と歴史を重ねたとき、これが三代目の名物誕生の箴言となって伝わるのだろう。
木乃婦
住所|京都市下京区新町仏光寺下ル岩戸山町416
Tel|075-352-0001
http://www.kinobu.co.jp/
text:Mayumi Furuichi photo:Toshihiro Takenaka
Discover Japan 2019年10月号「京都 令和の古都を上ル下ル」